「農」「食」「音」で世界を繋ぐ旅から  和気 優 (農民カフェ)

アグリ(農)

「農」「食」「音」で世界を繋ぐ旅から 和気 優 (農民カフェ)

文・片岡一史/写真・伊藤 郁

「農」との出会い

90年代、JACK KNIFEというバンドがあった。ライブの基本はストリート。土曜日の夜、渋谷。デパートのシャッターが閉まると、ファンが集まりはじめ、ライブがはじまったという。JACK KNIFEは97年に活動を停止するが、リーダー・和気優はその後、ソロとして活動を続ける。

彼のライフワークともなっている活動のひとつに、全国の更生保護施設をめぐるツアーがある。ひとりバイクに跨り、ギターを担いで全国の施設をまわり、歌う。
「中学のときの同級生が殺人事件を犯したのをきっかけに、自分のやるべきこと、歌うべき場所を、もう一度、求めるべきじゃないかと強く思ったんです。自分の青春時代を振り返るとほとんどがバイオレンスだった。そういうなかでドロップアウトしていったヤツらもたくさん見てきた。自分が落ちていかなかったのは音楽があったから。それが一番大きい。どうしようもなく寂しくて辛かった時でも音楽が癒してくれた。しかしまわりのヤツらは……。同じような若者に、音楽の引力を感じてもらいたい。音のない世界で歌おう。それが少年院だったんです」

まわっていた施設で出会ったのが「農」だったという。


生産者と繋がる

「10歳になるまで父方の祖父母に預けられていました。しかし、血の繋がっていない祖父母。自分は邪魔者扱いだった。そして農家。だから農家は大嫌いだったんです。辛く寂しかった少年時代のネガティブの象徴。今も畦の草を刈り取った後の青草のにおいとかに胸を締め付けられるような感じがするわけです」

そんな和気優が出会った「農」とは何だったのか。

「施設の名前に『〜農芸学院』とついているところもあるぐらい、更生保護施設は、農業と密接なんです。少年たちにボランティアで農業を教えに来ていた農家の方があちこちにいらっしゃった。彼らと話していて、その生き方、考え方に洗礼を受けたんですね。14〜15歳のころ、パンクに洗礼を受けたごとく、農業ってすげえかもしれないってね。自分が少年時代暮らした農村の、辛い思いのその以前には、彼らのような素晴らしい生き方があったんじゃないかってね」

当時、飲食店もやっていた和気優は、さっそく、彼ら有機農家の野菜を素材として入荷した。

「彼らと繋がりたかった。頼んで野菜が届いた。段ボールを開けたら、また、ショックですよ。野菜を手に持ったときの存在感。すごいと思った。作品なんですね。彼らと近くなりたいと思って千葉の流山に農地を借りて米作りをはじめました」

生産者と消費者が集まるライブ会場のようなマルシェ 

そして<農民カフェ>が誕生。2012年の春から〈下北沢マルシェ〉がスタートした。

「2011年の震災。仲間たちの安否確認もあって、バイクにギター背負って、千葉から沿岸沿いを北海道までまわった。そこには、農家の人たちが立ち上がっている姿があった。でも、福島は放射能にさらされ、風評もあって、作っても売れないという現実もある。これは実際に彼らに来てもらって対話して糸口を探るしかないと思ったんです。それがマルシェのきっかけです」

下北沢のマルシェで、福島の農家と下北沢の住民が繋がり、新たな動きも出てきているという。

「東京にはアンフェアな状況があるんだということを感じていたんです。たとえば下北沢で店を出したい、いいものを作ってみんなに使ってもらいたいと思っても家賃や維持費が大変。店を出したとたんにエネルギーを全部奪われて自滅していかざるを得ない。本当の意味でフェアトレードできる場所をつくりたいというのが、もうひとつのマルシェの目的でした。このふたつ。そして両方に共通するのはオーガニック、自然素材だということ、それがマルシェだったんです」

2015年春には、東京・目黒区で〈オーガニックマーケットAOZORA〉も始まった。
「農」との出会いから<農民カフェ>「マルシェ」へ。そこにはつねに「生きる!」というテーマがある。

profile 和気優
1989年、JACK KNIFE結成。渋谷ストリートで活動。渋谷公会堂、日比谷野音でもワンマンライブをやり、打ち上げライブはストリートでというスタイルを貫き通す。99年、ソロ活動開始。バイクに跨りギターを背負って全国の少年院や学校で弾き叫び、自ら農民として無農薬の米を作り、その米をメニューとして提供する<農民カフェ>を築き、あらゆる人間たちに「生きる!」を叫び続ける。 


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