子どもたちに安心して提供できるササニシキをつくるために。 田伝むし 木村 純

アグリ(農)

子どもたちに安心して提供できるササニシキをつくるために。 田伝むし 木村 純

文・宙野さかな/写真・宇宙大使☆スター

流域面積が東北一を誇る北上川。太平洋から北上川を十数キロ登った沖積平野で稲作を営んでいるのが木村純さん。木村さんの父親が1987年に無農薬で米づくりをはじめた。父親の影響と奥さんの後押しもあって、木村さんはサラリーマン暮らしを辞め、農家として歩みだしたのが2005年のことだった。

木村さんは独自で勉強を重ね、肥料を使わない自然栽培での米づくりもはじめた。自然栽培や無農薬の米づくりは、雑草との戦いだと木村さんは口にする。「田んぼに思いを傾ける。そうすると、その土地自体が持つエネルギーが大きくなるような気がします。裸足で田んぼに入ると『なんて幸せな瞬間なんだろう』と思えるときがあります。田んぼって人間の生き方にも通じているんですよ」

木村さんがつくっているのはササニシキだ。ササニシキは1963年に宮城県で誕生した品種で、かつては西の横綱コシヒカリに対し、東の横綱と呼ばれるほど人気があった。けれど低温などの気候障害を受けやすいなどの理由から、どんどんつくる農家は減ってきている。現在では、生産される品種の上位20位にも入っていないという。

「ササニシキは弱いように言われますが実は逞しいのです。出しゃばらず、おかずをひきたててくれるお米です。奥ゆかしいというか、なんか日本人っぽい米なんですよね」

ササニシキづくりに情熱を傾ける木村さんでも、放射能の被害がどれだけのものなのかわからないときは、自分の土地を捨てる覚悟もしたという。

「素手で田んぼの水に触れていいのかなと思ったりもしました。食を提供するということは命を提供していること。その責任だけは持ち続けなければなりませんから。今後は個人の繋がりがより大切になると思っています」

田んぼの素晴らしさを伝えることと農業を担う人材を育てることを目的に震災の前年に法人化している。名前は <田伝むし>。「極端なことを言えば、米だけで健康維持できるんだっていうくらいの米をつくりたい」と木村さん。木村さんのササニシキにかける思いは、震災後はさらに大きくなっている。


木村 純 
北上川流域の旧河南町(現在は石巻市に合併)和渕で、代々稲作を続けてきた農家。父親が無農薬での稲作をはじめたのが1987年。「若いときには反発して、農家になんかならない」と思っていたものの、30代半ばで帰農。無農薬をさらに進め、肥料を使わない自然栽培などにもチャレンジしている。育てているのは宮城が生んだササニシキ。「今でも寿司屋でダントツの人気」を誇るお米だ。震災の前年に株式会社田伝むしを設立。自然栽培や有機など、子どもたちに安心して食べさせられるササニシキづくりをモットーにしている。次世代の農業人の育成にも力を注いでいる。


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