畔道じかん  no.29 真砂秀朗

アグリ(農)

畔道じかん no.29 真砂秀朗


日本語では農的生活に入ることを、帰農と言う。帰るという字を使うのはやはり、かつて居たその世界へ戻るという意味合いがあるように感ずる。
 
ではそのかつて居た世界とは、どんな世界なのだろう。もっと意識してみよう。
 
私たちのルーツ、私たちのアイデンティティーの中心にある感覚。
 
その方向へ意識をむけて行くと、表れてくるのが縄文と言われる時代だ。
 
しかし縄文時代という一言でくくられてしまった一万年ともいうこの永い時代は、今まで歴史的にはあまり目を向けられなかった。むしろ閉ざされるように、教科書の中では人々が毛皮をまとい、狩りをしていた未開な時代のような印象だ。
 
でも本当は、特に紀元前一千年以降は、いろいろな民族が渡来し共存するなかで、豊かな里山が生まれていたことが解ってきている。
 
そしてその里山で培われた文化こそ、衣食住の日本文化の源流であり、私たちのルーツなのだ。本来なら歴史では一番詳しく習わなくてはいけないところだろう。


一月の谷戸田は一年で一番静かな時。田んぼになみなみと張った水に、お日さまの光が反射して眩しいくらいだ。
 
今日は古神道家の礒正仁さんとイダキ(デジュリドゥ)奏者のKNOBさんが二月に催される会の打ち合わせにみえたのだが、田んぼを案内したら、ここで音を出そうということになった。
 
古神道の祈りの声とイダキと出雲の笛が谷戸に響き合う。
 
苔むした岩に木もれ日が揺れている。昨日降った雨がしずくになってその上に落ちてキラキラと飛び散っている。谷中が響き合っているようだ。

 
全てのいのちと響き合っているという感覚。
 
あらゆる生きものと共生するところ。
 
そこが、私たちが帰るところ。


 文/写真・真砂秀朗

エッセイ集『畔道じかん―ひとつのいのちとつながる田んぼ』
日本人の豊穣な文化を育んだ古代的稲作を通じて、私たちの心のふるさとへ回帰する旅の記録。
人と自然とが折り合う里山の棚田の四季をエッセイと写真で描く。

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  88 39号(2015.2.20)

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