畔道じかん  no.28 真砂秀朗

アグリ(農)

畔道じかん no.28 真砂秀朗

今年は田植えをしてから、田の草取りを一度しただけで、ほとんど何もしなかった。でも秋になると、こんなに実っている! 稲とは本当にありがたい存在だ。

しかし思えば、この稲たちは人との永い付き合いの果てに、このように豊潤に実をつけるようになったのであり、この永いあいだ、稲は人にとってこのうえなく大切な存在であったということだ。でもこの稲たちを目の前にしていると、稲にとっても人はかけがえのない存在だったのではないかと思えてくる。

そもそも人と稲の関係は、氷河期が終わって狩りがうまく行かなくなった人間が、野生の稲を改良して始まったとされるが、その地球的規模の環境の大変化の中で、稲という存在も人に寄り添ってきたのではないだろうか…と。

存在の相互性、それを因縁とナーガルジュナはいった。すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、相互に依存して存在していると。また徹底した相互依存性としての「縁起」を説き、大乗仏教全般に多大な影響を与えたという。

そうか、なるほど…この田んぼの時間に浸りながら思う、「縁起」とはシンクロシステムのことではないか!

自然という世界はすべてが依存し合って成り立っているから、本当は自己に主体があるのでは無い。でもそれは、自分というものが何も無い訳ではなく、自然という全てが自分の中にもあるということだ。それはシンクロシステムであり縁起ということだ。

僕たち日本人が「自然に何とかなる」と思ったり、「自然にしておく」のが一番良いと言うのは、こういうことだ。子供達が「神さまの言うとおり」というのも、消極的自己というより、積極的空観ということか…。

この谷戸田では、黒米や緑米、香り米、赤米、コシヒカリなどを植えているので、実ってくるとそれぞれに色づき、まるでパッチワークのようになる。

秋晴れの日、あずま屋でチャイをすすり、この緑のキルトを眺めながら、人と稲の因縁を味わうのだった。


文/写真・真砂秀朗

エッセイ集『畔道じかん―ひとつのいのちとつながる田んぼ』
日本人の豊穣な文化を育んだ古代的稲作を通じて、私たちの心のふるさとへ回帰する旅の記録。
人と自然とが折り合う里山の棚田の四季をエッセイと写真で描く。


  この記事を掲載している『88』38号のebookはこちらから
   ※PCブラウザ、iOS(iPhone、iPad)のみ対応。

  88 38号(2014.10.30)

関連記事

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑