畔道じかん  no.26 真砂秀朗

アグリ(農)

畔道じかん no.26 真砂秀朗

風が吹くと花吹雪が谷に舞う。泥を盛ったばかりの苗代や、オタマジャクシがいっぱいの田んぼを祝福するように、花びらが舞い降りた。種蒔きの季節だ。
今日は芽を出したコシヒカリ、緑米、黒米の種モミを蒔く。

安田喜憲著「一万年前」によれば、約一万五千年前に最後の氷河期が終り環境が大きく変化すると同時に、東アジアの海沿いには広大な森林が成長した。その森に、土器を作って森の幸や海の幸を煮炊きする文化が現れるのが縄文の始まりのようだ。

そのような森の大回廊沿いに、長江中域で一万四千年前に始まった稲作は三千年前頃に日本列島まで伝わったという。実は縄文時代に稲作は始まっていたのだ。

ウグイスの鳴き方も上手になってきた。山吹が満開で谷の縁が黄金色だ。

今日蒔いている種モミも、実りを繰り返しながら縄文から命を繋げて来たのだと思うと、何てありがたいことだろう。

冬から水を張り、耕さず、肥料を入れずにいることで、田は沼のようになる。それは元々稲の原種が繁殖していた、稲にとってはありのままの状態だ。だから病気もないし虫にも強い
し気候の変動にも対応力がある稲が育つ。

とてもシンプルな話。

水辺で跳ねているセキレイに出会う。ツバメ達が巣作りの泥を取りに来て舞っている。

夕暮れになると、急いで谷の奥の方へ帰宅するカモの番いが頭上を飛んで行く。山の背を輝かせて一二夜の月が昇り始めた。

実は僕たちが考えていたより自然は高次元のシンクロシステムだ。

僕たちの心もそちらに開けば、よりありのままに、直感的な世界に繋がっているのだ。

畔道を歩むということ。ありのままの自然の生命の響き合いのなかで、自分の食べる分の作物を育てること。それは三次元的に固定されてしまった現代という意識から脱して行くための、とても楽しくてシンプルなひとつの方法だ。


文/イラスト・真砂秀朗


エッセイ集『畔道じかん―ひとつのいのちとつながる田んぼ』
日本人の豊穣な文化を育んだ古代的稲作を通じて、私たちの心のふるさとへ回帰する旅の記録。
人と自然とが折り合う里山の棚田の四季をエッセイと写真で描く。

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