畔道じかん  no.24 真砂秀朗

アグリ(農)

畔道じかん no.24 真砂秀朗

溢れるような言葉の情報がありながら、その中からリアルな流れを汲み取るのは難しい状況。もはや現状は・・・バベルの塔が崩れる時に人々の言葉が通じなくなった・・・という神話のような様相だ。

行き詰まったバビロンは恐怖や怒りやプライドという感情を刺激して、新たな需要を作り出そうとする。マスメディアが流す情報はもはや、それに組み込まれてしまったことが、あからさまになってしまった。

でもこれは、そういうネガティブなマインドに左右されない精神への進化の場なのかもしれない、と思うことにしよう・・・

田んぼに田の草取りに行こう。

七月は田んぼが一番美しい季節だ。成長した稲の葉が海原のように風に波打つのを眺めているのは、ほんとに気持ち良いものだ。

今年は梅雨が遅かったので田植えも遅れ、あの風景にはまだなっていないが、不耕起無肥料の稲は最初に根を充分に張ってから、すくすく生長し始めるから、あと半月もすれば緑輝く海原を眺められるだろう。

ここには経済も情報も無い。でもここでは、ミクロの微生物から植物、昆虫、動物、そして天気に至るまで響き合い、伝達し合っている。一万五千年前に大陸から切り離され、バビロンから一番遠いところに生まれた縄文というビオトープでは、言葉はそのいのちの響き合いと共にあったのだろう。

多次元的なシステムのなかに三次元の箱を作り、その中を情報と物でいっぱいにしてしまったのが文明の今ということだろう。

人工的に肥料過多の稲が病気になったり虫に食われて自然に分解していくように、今ぼくたちの文明のなかで、そしてマインドのなかで起きていることは、自然にそぐわない過剰なものが朽ちて、必要な本質だけが次の次元のシステムへ回帰していくプロセスなのだろう。


文/イラスト・真砂秀朗

エッセイ集『畔道じかん―ひとつのいのちとつながる田んぼ』
日本人の豊穣な文化を育んだ古代的稲作を通じて、私たちの心のふるさとへ回帰する旅の記録。 人と自然とが折り合う里山の棚田の四季をエッセイと写真で描く。

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