エネルギー(電力)と食べ物の自給 東田トモヒロ

アグリ(農)

エネルギー(電力)と食べ物の自給 東田トモヒロ

 

熊本に生まれ、熊本から発信することにこだわるシンガー・ソングライター。福島原発事故後、エネルギーと食べ物の自給自足に舵を切った。荒れた風景を、自分が幼かった頃に戻すことからはじまった土との関係。未来を託す子どもたちに残すものは何なのかを東田トモヒロさんは問い続けている。

文・菊地 崇/写真・宇宙大使☆スター  


エネルギーの自給から。


熊本県の北部にあった植木町。現在は南に隣接する熊本市と合併してしまったが、シンガー・ソングライターの東田トモヒロさんは、この場所で生まれ育った。

地元の大学に通い卒業。プロのミュージシャンになるために、一時期東京に住んだことがあったものの、水がどうしても合わずに植木に戻ってきた。以来一貫して、熊本をベースに日本のみならず地球へ音楽を届けている。

サーフィンや旅を通して、自然がもたらしてくれるものの大きさを実感していた東田さんにとって、パラダイムシフトとなったのが東日本大震災だった。

「音楽をやって、音の旅を続けている。だからなかなか一歩を踏み出すことができなかったんですよ。農にしても、自然エネルギーにしても、ずいぶん前から暮らしの一部分に取り入れたかった。震災というか原発事故によって、ひとつの文明の終わりを告げた瞬間を僕らは見たわけじゃないですか。違う価値観に目覚めているのであれば、それを行動に移さなければいけないときだなって思ったんです。そしてその直後のツアーで、木村(俊雄)さんに出逢って、まずはエネルギーから自給しようと決めたんです」

木村俊雄さんは、福島第一原発で炉心の設計や管理に携わっていたものの、原発への疑問が膨らみ2000年に退社。福島で農を基盤とした暮らしをしていたが、原発事故により高知県に移住した。現在は高知でソーラーエネルギーの普及活動をしている。

「今、6枚のパネルで、おそらく1キロワットくらいの電力をソーラーで賄っています。冷蔵庫も洗濯機も、これで十分。冷暖房を電力で使わない限り、商用電力が切れても生活には不自由しないっていう安心のレベルまできました。大きく変わったのは、電気を大切に使うようになったことです」



森と畑と地元の人とのコミュニケーション。

東田さんはエネルギーの自給への道が示された次に、食料の自給へ歩みはじめた。自宅の周りは、里山の景色が残っている。使われていない畑も多い。近隣の方とコミュニケーションをはかりながら、ここに根付く覚悟があるということを少しずつアピールしていったに違いない。

「家の周りの風景を見るようになったら、子どもの頃に遊んでいた風景とは違っていたんですね。人手が入らない竹林。まずそこを、自分が幼かった頃の風景に戻したんです。畑もしばらく使われていなかったから荒れ放題でした。竹を切って、畑に戻して。畑は他にも貸してくれるってところが見つかったから、開墾したこの場所は果樹園にしていこうかなと思っています。そしてその一角にスタジオを作る。もちろん電源はすべて自然エネルギーのスタジオ。興味があることを、頭のなかで考えていたことをひとつひとつ形にしていく。それって、とても楽しいことでもあるんですよね」

2012年秋、長く所属していた東京のCDレーベルを離れ、東田さんはフリーとなった。そのことを期に、ツアーの期間や時間をまとめていった。つまり熊本にいる時間を増やしていった。

「ベースは熊本にあるんだけど、実はあまり自分がいる場所のことを知らなかったんですよね。自分の身の周りにある自然、土や森と触れ合っていなかったんです。触れ合えるような森づくりと畑と地域の人たちとのコミュニケーション。それが大切なんだって気づかされたんです。まず自分が、自分の生まれ育った環境に飛び込んでいく。飛び込んでいくことによって見えてきたこともあったし、いろいろ拡がっていきました」

震災後、それまでとは違う暮らしを余儀なくされた子どもたちに、熊本の食べ物と元気を届けるプロジェクト、 <change the world< をスタートさせた。  2011年5月以降、毎月のように熊本で収穫された野菜や果物が福島県南相馬の幼稚園に送られている。このプロジェクトも、地元に飛び込んでいったことによって繋がりが生まれ、今も続いているんだと東田さんは口にする。

「地元の農家の方に協力を仰ぐ。近所の農家の人と話すようになったのは、 <change the world< をはじめてからなんですね。震災から3年。やっと熊本から発信していると自分で感じられるようになってきました。それまでは、寝床が熊本にあって、自分を売り込む旅をしていたのかもしれません」



サーフィンと農作業の類似性。

2013年からは、畑のほかに田んぼでの米づくりもはじめた。熊本にいるときには、朝早くから田んぼや畑へ行く。サーフィンへ行く回数がめっきり減ったという。

「代掻きをした後に、水を張った田んぼに足を突っ込んだんです。田んぼの真っ平らな水の上に立っていたら、もちろん波はないんですけど、サーフィンをして波待ちしている風を感じていた感覚が蘇ってきて。里芋の収穫のときも、土に手を突っ込む感覚が、パドリングで水に手を突っ込む感覚とまったく同じ。土に触れることって気持ちいいんですよね。前は自然と触れたくなってサーフィンに行って自分の個性や感性をキープしていたけれど、それは身近にある水や土でも受け取れるんだってことがわかったんです。ボードを持って海に行くのと、鍬を持って畑へ行くのも同じ。肌が自然に触れる。それが一番安心できるし、リラックスできるんですよね。『アース』っていうくらいだから、触れることによって放電と充電をしているんじゃないですかね」

東田さんは、地元に飛び込むことによって、消費することよりもクリエイトすることのほうがはるかに多くなったという。確かに、人や自然とコミュニケーションすることによって、新しい感覚が生まれていく。意識の持ちようも変わっていくだろう。

「山とか畑とか田んぼを、子どもたちに残してあげたい。音楽と森と田畑をセットしてあげたい。その3つが、いろんなことを教えてくれるはず。歌も祈りですものね。感謝の気持ちを、自然や宇宙に返す祈り。今、生きているこの場所で感じたことや祈りたいことを音楽にして、都市に逆流させていきたい。音楽としっかり向き合える構えが、やっとできたような気がします。野良仕事をして、食べ物もエネルギーも自給できるようになる。それって、音楽を続けるためのベースづくりをやっていたんだと思う」

旅へ行って、ライブをして植木に帰ってくる。都市だけではなく、自然が豊かな場所へ赴くことも少なくない。野外フェスも数多く出演している。けれど、そのどんな場所よりも、植木の、自宅の周りの空気がうまいと感じるという。

「どこへ行ってもダメなんだ。結局はここじゃないと。ここが最高だなって思う。自分が生まれ育った場所は、なんて素敵なところなんだって思う」

2013年は8畝の田んぼで米づくりをした。収穫できたのは、およそ300キロ。今年は、さらに広い田んぼを借りることができる。その田んぼで、イセヒカリという米をつくるのだという。平成元年に伊勢神宮の神田で発見された米。イセヒカリは日本の古来種とも言われている。

「古来種の米をつくって食べる。それってなんとなく精神に作用するような気がしています。管理された現代社会の扉を開けてくれるような存在なのかもしれない。人間が持つ、高次元な意識の復活する時期が来ているような気がしていて、古来種の米のなかにも、そんなヒントがあるんじゃないかと思っています。そんな米をつくってみないかって話をもらえることだけでも、なんか楽しいじゃないですか」

生まれ育った場所の自然を愛し、その自然を子どもたちの世代に残していこうとする活動。東田さんは、多くの人がやらなければならないと心に思っていることに一歩踏み出した。そして一歩踏み出すことによって、新しい自然との関係が生まれた。


profile ひがしだ ともひろ
1972年熊本生まれ。2003年のデビュー以来、一貫してメッセージ性の高い表情豊かな楽曲を発表し続けているシンガー・ソングライター。自然農とエネルギーの自給自足を実践しながら、生まれ育った熊本をベースに活動を続けている。福島県南相馬市の子どもたちに、季節の野菜やくだものを届けるプロジェクト <change the world> の代表も務めている。

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