旅を続けたアコースティックユニットYoLeYoLe。7年の時を経て2014年夏に再集結、そして再始動。

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旅を続けたアコースティックユニットYoLeYoLe。7年の時を経て2014年夏に再集結、そして再始動。

2年間という短い活動期間は、ライブという場を求めた凝縮した時間だったに違いない。活動を休止して7年。アコースティックユニットのYoLeYoLeが復活する。ユニットから個へ、そして個から再び集合体へ。その時間は懐かしく新しい時間になる。

文=菊地 崇/写真=伊藤 郁

2年という濃密な時間のなかの旅。

–––– 3人にとって、YoLeYoLeはどういう存在だったの?
Kohei 休止して、もう7年が経つんですよね。
Nao 2005年の終わりにはじめて3人でライブをして。結局、活動していたのは2年だけなんですよね。
Ryuji でもその2年の間に、全国で200本くらいライブをやって。<フジロック>にも出させてもらったし。2年間はYoLeYoLeだけにすべてをつぎ込んでいたっていうか。
K ガムシャラな2年間でしたね。でもその2年間で多くのことを学べたと思います。
N 今振り返ると、この2年間だけ、違う時間軸で流れていたような気がする。

–––– そもそも3人でアコースティックユニットのYoLeYoLeをはじめたのは、どういう理由があったからなのですか?
N ライブをしてツアーをするということへの憧れがあって。毎日を変えたかったんです。他のバイトをしながら音楽をするのではなく、音楽で暮らしていきたかった。プロになりたいっていうことじゃなくて、音楽を毎日していたいという憧れ。
R とにかくライブをいっぱいやりたかったんですよ。コータンもナオちゃんも俺も。
N みんな他に仕事があったから、地方へ行っても、一晩だけライブをやって帰って来なきゃならなかったり。それが歯がゆかったんです。
R 機材もあるし車もある。3人そろっていればなんとかなるって思って。それで、全国の知り合いに電話をかけたんです。「ライブをやらせてください」って。投げ銭でいいからやらせてくださいってお願いして。そしたら、どこへ行ってもみんなが歓迎してくれて。ライブをオーガナイズしてくれた人や遊びに来てくれた人に、ライブをやれそうな知り合いを紹介してもらって次に繋がっていく。毎日が出逢いの連続。

–––– 曲はどうやって作っていたの?
R ナオちゃんがベースを作って。
N 簡単なギターコードと、歌詞とメロディを作って。それをふたりに解釈してもらって。ライブでどんどん変化していきましたね。練習するよりも、ライブをしているほうが断然多かったから。ふたりでインストの曲はよく練習していたよね。
K 練習しているのか、遊んでいるのかよくわからないバンドだった(笑)。

–––– ナオちゃんは、それまでMajestic Circusに参加していたけれど、歌をメインにしたバンドではないから、それほど歌っていなかったよね。
N 10のうち2くらいしか歌っていなかった。ある日リュウジが「もうちょっと歌う場所があったほうがいいんじゃない?」って誘ってくれて。音数の少ないアコースティックで歌うっていうこともやってみたかったんですよね。それで3人でやってみたら、すごくしっくりきて。

–––– YoLeYoLeの2年を振り返るってことはある?
N 今考えると、2年ってものすごく短い。そして7年ってものすごく速い。
R 違う星に飛んでたかなぁ。それくらい濃い2年間でした。自分たちが感じている以上にYoLeYoLeにみんなのエネルギーが集中していたんだと思う。
N ふたりは「若い男の子」だったから、エネルギーが底なしだったよね。
R 5日連続とか、平気でやっていたから。しかもPAも自分たちでやって。機材を組み立てて、リハーサルをして、本番をして、片付けて。それだけで終わらずに宴会して朝まで飲んで移動する。
N 2年目には疲れてしまって。みんなが応援してくれていたから、ライブのオファーは断れないし。どうしたらいいんだろうって悩んだ末の答えが、一回お休みするということ。新しい曲も作りたかったしね。
R YoLeYoLeが休止してから、ひとりではどんなことができるんだろうってすごく考えたんですね。旅をして、歌を届けることをしたい。その気持ちは、YoLeYoLeでの経験から導き出された答えでした。ナオちゃんはソロ、コータンは天草、俺はモーフの旅。3人がそれぞれ音楽を続けていること。それがちょっとは成長できた証じゃないかと思っています。



7年ぶりの再結成ライブ。

–––– 2014年8月にタフビーツ10周年イベントで再結成することになった。この話を持ちかけられたとき、どんなことを思いましたか?
R 僕は即答で「やりましょう!」と。
N 私もそう。「やりたーい」って思った。
K YoLeYoLeのアルバムを発売してくれていたタフビーツの10周年だし、そのために自分たちができることって何なのかって考えたら、YoLeYoLeなんだなって。

−−−− 3人の気持ちが同じ方向に向かっていたということですね。
N 一度、YoLeYoLeをすごくやりたいと思ったときがあったんですよね。震災のすぐ後。私は余震が怖くて、子どもを連れて石垣島の友だちの家に身を寄せていたんですよね。あのときって、みんなが不安に包まれていたでしょ。自分の耳のなかですごいYoLeYoLeの音楽が鳴っていて。自分の心を落ち着かせるためっていうことでもあったんだけど、みんながああいう音楽を聞きたいんじゃないかってすごく思った。そしたらコータンから「YoLeYoLeをやるべきときなんじゃないか」っていう連絡が来て。ワーって思ったんだけど、リュウジはタイで不在だった(笑)。
K 前と今が違うところは、お父さんになったりお母さんになったりで、それぞれが違う生活を過ごしている。またやるのにはすごいエネルギーが必要なんだよね。震災の後は、自分たちがライブすることによって、何かのエネルギーをみんなに感じてもらえるのなら、やらなきゃなって思ったんですね。

–––– YoLeYoLeとは旅に同行させてもらったこともあったし、8月1日の再結成がとても楽しみですよ。
R 一度くらい練習しようよ(笑)。
N パソコンの前じゃなくて、実際に顔を合わせて。

–––– じゃあ最後に、YoLeYoLe再始動に向けての抱負を。
K 「いつでも」という気持ちもあるんだけど、なかなかそうならない現実もあるから、できることをやっていきたいなって思っています。
R YoLeYoLeは3人の気持ちとタイミングがマッチすれば、いつでもいいライブができるっていう自信があるんですね。今後も声をかけてくださるところがあればやるだろうし。流れに任せるっていうか。8月1日は休止後の初ライブになるわけだし、とことんいいものを見せられればと思っております。
N みんなが聞きたいと思っているものをやりたいかな。自分の表現云々ってことじゃなくて、聞いてくれるみんなに感謝したい。みんなに支えらえたバンドだったから、音楽をやることで、その気持ちに返すことができると思う。YoLeYoLeとして歌うことが楽しみです。


YoLeYoLe
Nao(唄)、Ryuji(マンドリン)、Kohei(ギター)の3人からなるアコースティックユニット。2005年12月に藤沢の美容室でRyuji & Friendsとして3人で初ライブを行った。YoLeYoLeという名前を付け、本格的にライブ活動を開始。カフェやフェスを中心に、年間100本を超えるライブで旅を続けた。2007 年には初アルバム『ひかり』を発表。同年には〈フジロック〉への出演も果たした。その年の暮れを最後に活動を休止。今年8月、タフビーツの10周年イベント出演のために再結成する。

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  Lj 35号(2014.6.27)

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