平和への願いを唄で紡いでいく。元ちとせインタビュー

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平和への願いを唄で紡いでいく。元ちとせインタビュー

太平洋戦争が終結して70年が経った。70年にわたって、日本は平和を享受してきた。元ちとせが2015年夏にリリースしたアルバムのタイトルが『平和元年』。シンプルで強いメッセージが、このアルバムには込められている。

文=菊地崇/写真=依田恭司郎


 広島・原爆ドームの前から届けられた唄。

––– 2015年は、太平洋戦争が終わって70年の年。ちょうど10年前の2005年に、元さんは広島の原爆ドーム前で「死んだ女の子」を坂本龍一さんとパフォーマンスしました。そこにはどんな想いがあったのでしょうか。

原爆ドームで歌わせてもらう前、23歳のときだったと思うんですけど、広島のイベントに参加した際に、空き時間があったので原爆資料館に行ったんです。原爆資料館に入るまでは観光のような気持ちでした。本当にあったこと、自分の故郷でもある日本が苦しんできたということを目の当たりにして、しかも60年も経っていないときだったので、遠い遠い昔の話というわけでもなく、戦争が遠い空の下で行われているものだと考えていた自分が恥ずかしくなったんです。原爆資料館で女の子の影を見たとき、「死んだ女の子」を歌いたいと思ったんです。歌いたいから歌うということではなくて、唄を届けるという部分で意味のあることじゃないかと。世界中の人に見てもらいたい、世界中の人に届けたいという想いがあり、世界の坂本龍一さんと一緒にやりたいと考えました。そして唄を届けるところとして、終戦60年が重なり、原爆ドームの前で歌わせてもらいました。

––– 「死んだ女の子」は、すでにあった唄だったのですね。

デビュー前にもらっていました。同じ時期にいただいた「さとうきび畑」は、なんとなく自分の故郷(奄美)の風景が見えてきたので…。「死んだ女の子」は、歌詞もタイトルも、なんでこんな怖い唄を歌わなければいけないのかって思っていました。

––– 広島で歌うこと。やはり違う感覚があるのでしょうか。

広島は私に唄の道を教えてくれたところなので、受け止めてくれる方々が涙しているのを見ると…。

––– 平和へのエネルギーが満たされていたのですね

原爆ドームを見たくないと思っている方もいらっしゃると思います。けれど残してきてくれたことが平和の証拠だと思うんです。だから広島の方々には感謝しています。


 戦争を歌い続けていく決意。

––– 終戦70年の2015年。「死んだ女の子」や「さとうきび畑」などが収録された『平和元年』というアルバムをリリースしました。このアルバムを作ろうと思ったきっかけとは何だったのですか。

何かを考えたり見つめ直したりすること。例えば「何でこの人は平和のことを言っているんだろう」というようなことでもいいんですけど、そのひとつのきっかけになりたいなって思ったんです。終戦60年の年に私は出産もして、自分の娘を抱いて、一瞬にして命を奪われてしまったらどうなるんだろうと。単純に戦争になんか巻き込まれたくない。平和を伝えようとしている方々がたくさんいらっしゃるということを、この10年かけて教えていただいた。私も伝えていきたいんですね。

––– 体験を歌い継いでいくこと、語り繋いでいくことって大切だと思います。

娘が3年生になったときに、「戦争はイヤだ」という作文を書いたんですね。戦争の話をしていたわけではないのですが、「死んだ女の子」などは家でも歌っていました。「私は死んだの」とか、フレーズや言葉を覚えていたんでしょうね。あるとき、「あの唄の女の子は戦争で死んだの?」という話になり、そして彼女は「戦争はイヤだ」という作文を書いた。ちゃんと唄のお守りが届いているんだなって思えたんです。こういう形で音楽を残していきたいと思い、『平和元年』は生まれました。

––– 『平和元年』にはピート・シーガーの「腰まで泥まみれ」や「美しき五月のパリ」などが収録されています。選曲はどうなさったのですか。

このアルバムに収録された曲を私は一切知らなくて、スタッフが選んできた多くの曲のなかから選んでいきました。新しい曲を書くという案もあったのですが、実際に経験してきた人が残してくれたものに、また息吹をかけたい。経験していないことを想像で書くよりも、経験してきた人たちの本当の思いを継いでいかなければいけないなって思ったんです。そして歌えば歌うほどに、このアルバムを出すという意志が強くなっていきました。

––– 元さんの祈り、あるいは願いが『平和元年』に込められているわけですね。

空に届けっていうよりも、受け取ってくれたひとりでも多くの人が、平和っていうことをぼんやりでもいいので考えてくれることを願っています。人間が起こすことは人間が正さなければいけないと思っています。

––– アルバムタイトルにも、強いメッセージがあります。

レコーディングをしている最中から、意志のあるアルバムだなって感じていました。柔らかい言葉と芯のある言葉がいいなって思って。終戦70年の年にこのアルバムをリリースする。70年戦争がなかった日本という国に誇りを持って歩き出してほしい。その願いを持ってこのアルバムタイトルにしました。


––– 小さな頃は、戦争の話を聞かされていたのですか。

全然ないんです。ただ島唄には残っている。それがどんな意味なのかっていうことを考えたことはありませんでした。大人になってその意味がやっとわかって。私も唄のお守りで育ってきたので、今度は自分が少しずつお守りを渡していく番だなって思っています。

––– 「さとうきび畑」は元さんが19歳のときに歌った音源です。録り直さずにそのまま入れようと思ったのはどうしてなのですか。

『平和元年』のコンセプトと「さとうきび畑」が持っている唄の意味。録り直さなかったのは、ずっとそういうことに向かって音楽を歩いてきたということを表現したかったからです。

––– 自分の19歳のときの声を聞いてみて、どう感じましたか。

低音がないとか、かわいいなとか思いますけど。本当に集中して歌ってきたので、そのときの状況もはっきりと蘇ってきます。音楽の道を歩んできたんだなって、すごく思わせてもらいますね。

––– 戦争は、多くの人がイヤだと思っているのに終わらない。どうすれば戦争はなくなると思います。

戦争がイヤだっていうことを言い続けることが大切だと思います。デモが少なかった日本でも、参加する方も増え、メディアでも取り上げられることが多くなりました。その意志を受け取ってほしいと思います。

––– どういう方にこのアルバムの唄を届けたいですか。

人を選びません。子どもたちも「腰まで泥まみれ」とか、意味がわからないのに反応している。今はわからなくても、生きていく人生のなかで、唄が身体のなかで流れる時代がくるかもしれないですし。

––– 70年に渡って戦争をしなかった日本。ただその日本が変わるかもしれないという分岐点にいるように思います。多くの人が平和を望んでいる。どういう日本になってほしいですか。

平和な日本、平和な世界であってほしいと思います。やはり争いはイヤですね。


元ちとせ http://www.office-augusta.com/hajime/index.html

1979、年鹿児島県奄美大島で生まれる。通っていた小学校は4人で全員が親戚。小学生の時に自ら島唄を習いはじめる。2002年に「ワダツミの木」でメジャーデビュー。リリースから2カ月を経てシングルチャートで1位を獲得した。戦後60年にあたる2005年8月6日に原爆ドーム前で反戦歌「死んだ女の子」を坂本龍一とパフォーマンスした。2015年7月、平和への想いを込めたアルバム『平和元年』をリリース。奄美大島に生活の拠点を置きながら活動を続けている。


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