OKI DUB AINU BANDインタビュー アイヌの伝統を今の時代に置き換えて継承していく。

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OKI DUB AINU BANDインタビュー アイヌの伝統を今の時代に置き換えて継承していく。

アイヌの伝統楽器トンコリを手に、リズムという新たな伝統を開拓するOKI DUB AINU BAND。東日本大震災以降、曲を作れたくなったというOKIが再び歩みはじめたアイヌ文化の再生。

文=菊地崇/写真=北村勇祐

 

自分のルーツを知ること。

––– OKIさんがアイヌ文化に魅せられた理由からお聞きしたいと思います。

半分アイヌですから。音楽をやる前は美術をやっていたのね。メッセージとして「ルーツを知る」ということが大事なんだと、あるときから考えるようになって。レゲエにあった「バックトゥザルーツ」への問いかけ。自分にそれを置き換えたらアイヌだった。「バックトゥザルーツ」を表現するのは、美術じゃできないと思ったんです。

––– 小さな頃から、自分はアイヌだということは意識なさっていました?

していないよ。アイヌは今ほどポピュラーではなく、むしろタブーの領域の話だったからね。霧の向こうにうごめく存在だったよね。

––– 自分がどの民族かを言える空気ではなかった?

日本には日本人しか住んでいないっていうことを、ほぼ全国民が信じていた時代だったから。今みたいにアイヌ語教室があったり、国や道が文化を支援しているなんてことはほとんどなかった。アイヌが認められるようになったのは、ここ10年くらいのことで、様変わりしてきた。国や道はオリンピックに向けて、観光資源としての利用価値を嗅ぎつけているのかもしれないしね。

 音楽への目覚め。

––– OKIさんがアイヌの楽器、トンコリに出会ったのはいつだったのですか。

1993年かな。もう20年以上になるのか。

–––  その頃、OKIさんは他のバンドをやられていたのですか。

音楽をやっていなかった時代。多くがミュージシャンを諦めるくらいの年齢で音楽に目覚めたんだよ。

––– 音楽に目覚めるきっかけがトンコリだったと。

そう。トンコリじゃなかったら、なかなか踏み込めなかったな。トンコリは誰もやっていないし、一番になれるのが早いなと思って。

––– トンコリを手にしたとき、どんな印象でしたか。

あまりいい印象はなかったですよ。音も定かではないし、弦は5つしかないし。ギターみたいにフレットがあればいろいろできるんだろうけど、それもない。ポロンとやったら終わっちゃう。レパートリーをどうやって増やしていこうかと考えたときに、楽器の限界みたいなものを感じてしまって。アイヌのシンボルとしての意味合いにおいては強力だと思うんだけど、実際に楽器として演奏して、新しいものを作っていくっていうことができるのかなって思ったよ。

––– そう感じつつも、トンコリから大きなものを受け取り、やり続けてきたわけですよね。

毎回が壁(笑)。次に何ができるのかなって思いますよ。でも、できているからね。そんなに頑張っているわけでもないんですけど。

––– OKI DUB AINU BANDを結成したのはいつだったのですか。

最初のアルバムを発表したのが2005年。

––– トンコリに出会ってからしばらくは、ソロでやっていたのですか。

そう。ドラムを入れたかったんだけど、トンコリとドラムが一緒にやれる音量をかせげていなかったんですよ。だんだんと音響の技術がクリアできていったんで、バンドとしてアルバムを作ろうと。それが10年前。

 

東日本大震災以降の5年という時間。

––– 5年ぶりにアルバム『UTARHYTHM』がリリースされます。

東日本大震災以降、曲を作る気がしなかったんですよ。

––– それはどういう理由からですか。

ジャケットの裏側に使っている写真は震災後の石巻のものなんだ。3月11日以降、音楽が聴きたくなくなってしまった。音楽を聴くことって本当は楽しいことじゃないですか。曲を作るっていうことに、どうしても前向きになれない。ライブはやっていたんだけどね。

––– 作りたいというミュージシャンも、一方では多かった。

俺も作ったけど、全部ボツにしちゃった。世の中でどんな出来事が起ころうとも対処できる自分の引き出しが少なかったのかもね。やろうと思えるようになったのが1年くらい前。

––– それはどんなきっかけがあったのですか。

死んでしまったけど、タナカ慶一(キングダムアフロックスなどに参加)っていうドラマーがいて、慶一が北海道に引っ越してきて、ジャムセッションを繰り返していたんです。やっているうちに楽しくなってきて。それとそろそろアルバムを出さないと忘れられてしまうかもしれないという思いがあって、先に3月5日の渋谷でのライブを決めたんです。

––– 『UTARHYTHM』にはアイヌが継承してきた歌が主軸に存在しているように感じます。

元ネタがほとんど伝統的なものだね。

––– それを再生させたというか、蘇らせた?

例えば伝統芸能ということを考えたら、古典っていうのはあまり形を変えないで残していくものであり、そういうスタイル。ウタリで言えば、おばあちゃんの声に近づけるとか。ある意味、内向的ですよね。アイヌ内での評価なども大切になってくる。もちろんそれも必要で、継承していかなければならないことです。もうひとつ、歴史という観点から見ると、アイヌ文化は、自分たちの民族だけで、森のなかや海辺で生まれたかっていうと、そうではないんですね。外圧によって、はじめて民族意識が生まれる。アイヌと名乗っているのも、アイヌ民族しかいなかったら、アイヌを名乗る必要はないわけです。アイヌという言葉は人間という意味で、他と区別するためにアイデンティティが生まれてきた。アイヌの文化も借用が多いんです。極東や北米の多様なものがアイヌのなかに入ることによって、今言われている強烈なアイヌ文化が形成されていった。アイヌ文化の特質は何かっていうと、アレンジ能力に長けていることなんですね。

––– 絵のモチーフなどを見ると、アジアや北米のさまざまな民族と繋がっていることが感じられます。

例えば唐草模様と呼ばれているものがある。モンゴル、中央アジア、極東地域でもポピュラーなパターンなんですね。デザインのパターンでいったら、桁違いにアイヌが多い。個人個人のアレンジ能力が高かった。自分がアイヌらしくやることって何かって考えたら、先祖たちがやってきたアレンジを続けることだと思ったのね。他のものを取り入れて作っていく。それを俺はやっているだけで、俺こそがアイヌの伝統をやっているという自負もあります。新しいことを排除する人も少なくないけれど、先祖はこうやっていただろうって俺は挑戦状を叩きつけているわけ。

––– 変えないことと変わっていくこと。その両方が大切であると。

古典は変えないほうがいいんです。ここまで築きあげてきたものを形を変えないで後世に残していくことも大切です。その意味では、写真や映像記録と同じですよね。映像や写真という形として残してくものに対して、古典とはカラダからカラダという身体を通して次の世代に橋渡しをしていくこと。古典として残していくこと、そして新しいものを取り入れていくこと。その両方をやらなければならない。

––– 5年ぶりにリリースして、どんな感想をお持ちですか。

退化していなくてホッとしていますよ(笑)。5年間、音楽を離れていたわけじゃないんだけど、苦しかったのは音楽を作れなかったというか、作る気がしなかったこと。登校拒否じゃないけど、クリエイションに向かえない。それを克服するのにちょっと時間がかかったのかな。

––– 過去にこういう状態になったことはあったのですか。

ないですね。音楽を作ることが楽しくてしょうがなかったから。1年に一枚は出していたし、作っている段階から、次にアイデアが浮かんできて、早く次をやろうみたいな感覚でしたから。

––– 海外ツアーの予定はないのですか。

今のところ、7月にヨーロッパに行く予定です。

––– オリジナリティという部分でも、海外で高い評価を得ているバンドだと思います。

俺はいろんな音楽を借用してきているんだけど、真似はしていないからね。俺のオリジナリティっていうよりも、アイヌのオリジナリティの高さ。俺には大したものはないんですけど、自分が影響を受けている背後の存在、民族が残してくれた遺産がものすごいから。

 

石巻の写真を掲載する思い。

––– アルバムのジャケットに石巻の写真を使ったのは、東日本大震災を忘れないという大きなメッセージでもあるわけですよね。

石巻の写真が俺の頭のなかにあるイメージだったので。ピアノが自然の力でひっくり返っているんだよ。それは記憶にとどめておかなければならないことだし、5年近く経つけど、伝えていかなければならないこと。3月11日の近くにアルバムをリリースすることができる。CDとして形に残していくのだから、ミュージシャンのステートメントとしてビジュアルにも入れたかった。

––– やっと5年なのか、もう5年なのか。

子どもたちの甲状腺とかヤバイですよね。お金を持っている人たちのやっていることって、本当におかしいですよ。何も解決していないのに、どんどん再稼働とか言ってさ。

––– 40年が経過した高浜原発を廃炉にするのではなく、さらに20年動かせようとしていますし。

キューバの自家用車じゃないんだから。恐ろしいから止めて欲しいよ。日本では、40年前の車、70年代の車なんて走ってないじゃない。それはビンテージっていうんだよ。3月11日がまったく教訓になっていない。みんなの郷土愛を煽っている。帰りたいという気持ちを利用しているんですよね。みんな、汚れようが何をされようが、生まれ故郷への思いは断ち切れない。「原発の事故があっても福島は大丈夫ですよ」って見せることで、復興のモデルケースとしようとしている。ホーキング博士も言っているように、人間はいつか必ず滅びるんですよ。火力発電所なら人がいなくなっても大丈夫だけど、原子力発電所は自立できない子どもと一緒でそうはいかない。絶えず食事を食べさせて、オムツを替えてあげないと生きていけない。経済が崩壊し、国が滅茶苦茶になってしまう時代が来るかもしれない。そんな時代に、原子力発電所の面倒を誰が見るんですか。

––– 3年前には、三宅洋平の「選挙フェス」にもOKIさんは積極的に参加してくれました。

日本は変だと思うからね。普通の大人として考え、行動しているだけですよ。

––– 住みやすい日本の未来を構築したいという願いですか。

そうですね。ガザにいるミュージシャンとか、アルバムとか作っているのかなって思うときがあるんだよね。ミサイルが飛んでいる状況下で、レコーディングしていると思う。戦争っていうのは、特殊な空間や時期のことじゃなくて、日常のなかにあるもの。本当に差し迫った感覚、日常のなかに人殺しとか爆弾が落ちたりとかということが世界のスタンダードでしょ。

––– 日本もそのスタンダードに入ろうとしている。

まだ今は恵まれているけどね。ただこれから先はまったくわからなくて。もしかしたら、家族とともに稚内経由でサハリンに逃げなきゃならない時代が来るかもしれないと思うのね。日本だけが平和でいられるかどうかは怪しい。人間は血の流れが止まってしまうと死んでしまう。人間の社会は、血の代わりにお金が流れていて、それが1日でも止まってしまうとパニックが起きてしまう。放射能が漏れていようが、農薬でミツバチがいなくなろうが、頭の小さな子どもが生まれようが、お金という血を循環させることが優先される。

––– 循環させる量も増やそうとしていますし。

経済っていう血流がまずいなと思っていて。俺らも経済という血流のなかにいるんだけど…。世界の1%の人がすべての人類が食べていくお金を持っているということが、5年前には陰謀論と言われていたんだよ。でも今は1%対99%って当たり前にみんなが口にしている。

––– そしてどんどん格差は広がっています。

まず、今の総理大臣を変えなきゃね。…そんなことを日頃考えている人間が作ったアルバムなんですよ。こういうことも滲み出てくればいいなって思っているんだけどね。

 

カラフト・アイヌの伝統弦楽器『トンコリ』を現代に復活させたOKIが率いるAINU ROOTSバンド。電化したトンコリをベースとドラムで強靭に補強したヘヴィなライブサウンドに、アイヌに歌い継がれるウポポ(歌) の伝承曲やリムセ(踊り)、アフログルーヴ、レゲエ、ロック等が混在した越境DUBサウンドで人気を博す。主に海外フェスでのライブ実績を重ね、アルバム「OKI DUB AINU BAND」(06年)のリリースを機に日本上陸。これまで世界最大規模のワールドミュージック・フェスとして知られるWOMADへの参戦をはじめアジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地をツアーし、また日本国内でも数多くのフェスに出演。今年3月、5年ぶりとなるアルバム『UTARHYTHM』がリリースされる。「UTARHYTHM」とはアイヌ語で仲間を意味する「UTARI」に「RHYTHM」をつなげた造語。

http://www.tonkori.com

 LIVE INFORMATION

『UTARHYTHM』 発売記念 LIVE

開催日:3月5日(土)18:00開演

会場:渋谷 CLUB QUATTRO

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