bobinインタビュー/ネパールと日本を繋ぐ「心の歌」

オーガニック&エコロジー

bobinインタビュー/ネパールと日本を繋ぐ「心の歌」

かつては日本をベースに活動をし、数多くのフェスに出演を果たしていたボビン。Candle JUNEが中心となって動いていた中越地震復興イベントには、毎回のように参加していた。2010年春にネパールに帰国。それから5年。数年ぶりに2015年のフジロックへ出演を果たした。平和の歌を紡いでいるボビンに、4月にネパールを襲った大地震のこと、そしてこれからのネパールのことを聞いた。

文・菊地崇/写真・伊藤郁


82年ぶりの大地震。

–––– 4月25日に発生した大地震。国連は4月28日にネパール国民の30パーセントが被災したと発表しました。地震が起こったときに、ボビンはどこにいたのですか?

パタンの自宅にいました。パタンは古い町で、ダルバール広場は世界遺産にも登録されています。古い寺院などもあるその広場から歩いて10分くらいのところに自宅はあります。コンクリートの家でしたから大丈夫でした。中心部にある築100年以上の前の家は3階部分が落ちて。82年前にもネパールでは大地震があったんだけど、そのときは崩れなかった家も、今回は大きな被害を受けましたね。

–––– 揺れは大きかったのですか。

けっこう揺れました。僕は日本の生活が長くて、地震も何回か経験して知っていたはずだけど、今まで体験したなかでは一番大きな地震でした。

–––– マグニチュードはどのくらいだったのですか。

7.8。7.9という人もいるし、8.2という人もいる。ネパール高原は標高も高いこともあって、小さなマグニチュードの地震は、地上ではそれほど感じないんだけど、今回は大きなプレートが動いたようです。

–––– エベレストは隆起したことを考えると、大きな地震があっても不思議ではない場所だと。

地球を考えると、揺れることも自然なことなんだけど。一瞬の揺れで人間の生活はガラッと変わってしまうから。僕もそうだったし、いろんな人に聞いても、どれくらい大きなことだったのか実感するのに、2日~3日かかりました。崩れた建物を見ても頭で整理がつかないというか。数日経って「本当にすごいことが起きたんだね」と。


自分の食べるものを作ることから。

–––– 地震の後、ネパールの人に変化はあったのですか。

ネパールの人は80パーセントくらいが農業に関わっています。自分の食べ物は自分で作るというのが日常になっています。だから、家族が亡くなって悲しい、家が無くなって悲しいけれど、落ち込んでいる人は少ないんですね。食べ物は確保できるし、水も湧き水でなんとかなる。一日にバケツ2杯くらいの水で生活できる人たちですから。電気にお金を払って、水にお金を払ってという日本と同じような暮らしをしていたのなら、すべてが無くなってしまったと感じてしまって落ち込んでしまうかもしれないけど、もともと10時間くらい停電するのは当たり前だったから。みんな明るい。精神的には本当に強いなって自分でも感動しました。暴動も起きずに、みんなが冷静で。広場に1000人以上もの人が集って、ご飯を作って。共同生活をしているみたいですよ。昔から住んでいる人が多いから、根っこを張っている人が多いんですよね。かつては日本もそうだったと思うんだけど。

–––– 小さなコミュニティが存在していたほうが、地震などの際には助け合うんですね。

横の繋がりというか輪というか。東京は四角になってしまっているけど、日本は丸い輪の国のはずなんですよね。大変になったときこそ、そういう国民性が出ると思う。

–––– ボビンは赤ちゃんが生まれたばかりでしたよね。

奥さんの実家は栃木なんです。子どもたちを栃木に置いておくのは、すごく心が痛む。放射能という見えない恐怖がある。ネパールで作っている野菜は、ほとんどがオーガニックだし、ネパールにいるほうがシンプルですよ。

–––– 食べ物を心配しなくていいわけですね。

栃木のものは避けたいという気持ちが、頭の隅から消えない。見えないものに恐怖を与えられているから。誰かが言っていたけど、見えないものに恐怖を与えられている時代だから、見えないものの価値も上がる時代だと。確かにその通りだと思う。もっと人に感謝したりだとか、見えないもので繋がっていく時代になればと思っています。


子どもたちに夢を。

–––– 地震の直後から、日本もネパールの支援の動きがはじまっていました。

日本の友だちも心配してくれて。天草の(上田)耕平やエコービーツ湘南などは、すぐに動いてくれて、お金も寄付してくれた。Drillの(松岡)俊介も、出店したフェスで寄付してもらったお金を持ってネパールに戻ってきた。和気(優)さんも何かできないかって来てくれた。みなさんが寄付してくれたお金で自分たちで何ができるのかって考えたときに、結局は個人を助けていくしかできないんですよね。それではじめたのが、病院の薬代として使ってもらうこと。いとこが病院の院長で、もともとドイツの支援で運営している無料の病院なんだけど、そこに寄付しました。次に浮かんでのが、農家にトタンのシェルターを贈ること。田植えの時期に入るから、少しでも安定した気持ちで農業にはげんでもらうためにね。

–––– ネパール政府が行なった寄付を一カ所に集めるという政策についてはどう考えていますか。

ひとつの窓口にして、それを割り振りしていくというのは悪い政策ではないと思います。ただ問題なのは、国民も国際社会もネパール政府を信用していないっていうこと。それと政府の動きが遅いこと。

–––– 遅いのは日本も同じです。

状況も環境もそれぞれが違うから、平等にはなれないのにね。大きい単位でやるのは、いろんな課題があると思います。僕らがやれるのは、あくまで個人でやれること。PASA OB Puchaというのを15年くらい前に作っていて、そこが母体となっていろいろなことをしていこうと思っています。日本に留学してネパールに戻った仲間たちとの会。PASAは友だちという意味です。以前は、Candle JUNEくんにネパールに来てもらって、ストリートチルドレンにキャンドル作りを教えるコーディネートなどもしていました。

––––  PASA OB Puchaでは、今後どんなことをしたいと思っていますか。

ネパールには、政府と地域のコミュニティがお金を出し合って運営している学校がいっぱいあるんだけど、楽しいことを提供できたらなと思っています。教育というのはABCだけを教えるんじゃなくて、どういう環境で自分たちが育っていくのかも教えることが重要だと思います。キレイなトイレで育った子どもと、汚いトイレが当たり前の環境で育った子どもの感覚は違ってくると思うから。例えばフェスのデコレーションをやっているBubbさんとか、ライブペインティングのGravityfreeとかに来てもらって、ファンキーなトイレを学校に作ってもらう。クリエイティブなことを子どもたちに教えられる人に来てもらいたいな。地震で壊れてしまって、これから作っていくっていう場所だから。新しいものを作るっていうことは、こんなにおもしろいことなんだよって教えてくれるのなら、メチャ楽しいなって思う。これって政府じゃできないことだしね。


平和祭という心のフェスを開催。

–––– 今、望んでいることとは?

これから秋に入って、ネパールが一番美しい季節になっていきます。たくさんの観光客に来てほしいですね。多くの人が来ることによって、僕らネパール人のモチベーションが上がるはず。

–––– 11月にはイベントを開催するのですよね。

11月21日にパタンの世界遺産のど真ん中でやる予定なんです。前にJUNEくんとやっていたイベントを、もう一度やろうと。キャンドルを灯して、生音でライブをして。テーマは「光と音を通して心の平和を願う」。そのときだけでもいいから、平和な心を持って「ありがとうございます」と言って終わる。すごくシンプルなイベントです。

–––– イベント名は?

<SHANTI UTSAV>。「SHANTI」は「平和」、「UTSAV」は「祭り」。日本のフェスのように、お店は出すつもりはないです。地震の後にはじめてやるイベントだから。

–––– 「祈り」を中核にしたイベント?

祈りっていうのはマインドのチューニングだと思っています。生音とキャンドルの灯りを通してマインドをチューニングしていく。神様を拝むとかじゃなくて、自分の心に安らぎをもたらす。みんな同じ気持ちになれば繋がれると思う。本当にシンプルな目的です。音楽のフェスというよりも心のフェス。ヨーロッパ人は少しずつ増えている。日本からも多くの人に来てもらいたいと思っています。

Bobin(Bobin Man Bajracharya)

ヒマラヤの国・ネパールのカトマンズに生まれ、日本、ネパール、台湾でCDをリリース。2010年にはJAPANツアー、U.S.A.ツアーを行い、国内外の大型ロックフェスにも出演。現在も内乱が続く祖国ネパールを思い、ネパールの平和を強く願う曲を作るなど、次世代を創造していくべき人たちの心に向けて『平和』を伝えるメッセンジャーとして『調和』をテーマに世界中で演奏活動している。2015年<フジロック>に出演。


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