縄文スピリットを探して 第3回 縄文物件を探せ! 代々木八幡編

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縄文スピリットを探して 第3回 縄文物件を探せ! 代々木八幡編

文=草刈朋子/写真=廣川慶明

年末にネットのニュースを見ていたら「縄文時代から人気の住宅地」のヘッドラインが目に飛び込んできた。週刊ダイヤモンドの東京人気マンションランキングで、縄文遺跡の出た物件が2位に選ばれたらしい。建設に先立ち発掘調査が行われたというその物件は、地盤の強固な高台にあり、縄文人も認めるお墨付きの住宅地であることが格付けの理由のひとつになっていた。縄文人は地震や津波、洪水、土砂崩れなどの災害を受けにくい台地の上を好んで住んでいたので、遺跡物件というのは末永く住める安全な場所にあるのだ。

東京都遺跡地図によれば、東京都下の縄文遺跡数は現時点で3870箇所*。全国的にも文化財の多い奈良県の縄文遺跡が現状374箇所にとどまるのに対し、東京ではなんとその10倍もの遺跡が見つかっている。縄文時代から人気の住宅地、東京。一体何が縄文人を引きつけたのだろう? 縄文人の審美眼にかなった土地を歩いてみようと思う。
*遺跡の多くは調査後に埋め戻されるが、遺跡について説明した立て看板が立つこともあり、それが目印となる。


向かったのは代々木八幡宮。神社に縄文遺跡があるの?と、思われるかもしれないが、実は神社は縄文遺跡と相性がよい。文化人類学者の中沢新一は著書『アースダイバー』で、台地が突き出した岬の突端は縄文時代からの聖地で、そのような土地に神社や仏閣が多いことを指摘している。地形図を見ると代々木八幡宮は武蔵野台地がリアス式海岸のようにえぐれた岬の突端にあった。縄文時代は海水面が今より高かったので、きっと海を望む高台だったのだろう。

小田急線の代々木八幡駅を降りて右へ。頭上を走る山手通りが見える。この高低差こそ縄文時代の面影を残す地形だ。ブラタモリよろしく高低差を感じながら山手通りへと続く階段を登り、オベリスクのような換気塔を横目で見ながらしばらく歩くと、右手側にこんもりとした小高い森が見えてきた。代々木八幡宮の鎮守の森だ。


境内に続く石段を上がる。樹齢を重ねた木々が辺りを包み込み、車道の喧噪が遠のいていく。急に鳥のさえずりが聞こえてきた。なぜかニワトリの鳴き声もする。どこか異世界に入ってしまったような感覚。樹木やむき出しの地面が醸すしっとりした冷気が感覚を鋭くさせているのか、それとも縄文の聖地だからかわからないが、人々の精神的な拠り所としてその土地の氏子に守られてきた神社には特有のトリップ感があると思う。

カーブを描く石段を上がると、参道の脇道に竪穴住居が見えてきた。柵に囲まれているので檻に入れられた動物のようだが、れっきとした竪穴住居である。きれいな円錐を描く茅葺き屋根に入り口がひとつあり、その上に煙抜きの窓がある。立て看板の説明書きによると、昭和25年の発掘調査で見つかった同じ場所に復元されたものらしい。中を見ることはできないが住居の床面は少し掘り込まれているようだ。周辺から4500年程前の加曽利E式の土器が多く出土したほか、石斧や石鏃、石棒といったこの時代のマストアイテムもひと揃い出たらしい。その一部が境内のどこかに展示されているようなので、さらに先へ進むことにした。


台地が空に向けてぽっかり空いた場所に拝殿があった。手水舎で手と口を清め、まずはお参り。玉を抱いた狛犬と子どもを抱いた狛犬が阿吽の呼吸で向き合う間を抜け、お賽銭をして2礼2拍手。目をつむった瞬間、はたと困った。誰に祈るのかと思ってしまったのである。代々木八幡宮は、鎌倉時代に建立された創建800年以上の歴史を誇る神社だ。ご祭神は八幡神の応神天皇という実在する人物を祀っている。日本では古くから菅原道真をはじめ、人を神として祀ってきたけれど、縄文の聖地を訪ねてきた身としては縄文の神様もそこに加えたい気分だ。そこで、ご祭神にこの土地の地母神を加えて祈ることにした。

展示館は神楽殿の脇にあった。ガラス張りになった4畳半程の展示スペースに竪穴住居の内部が復元され、縄文人風の男女の人形が飾られている。土器を作る妻のもとに、狩りを終えた夫が「ただいま」と帰ってきた場面に見受けるが、ふたりとも全身が土気色を帯びている上にうつろな目をしていて、はっきりいって怖い。子どもが見たら泣き出すんじゃないだろうか。

気を取り直して土器や石器を見る。最も大きな土器は竪穴住居の炉に埋めて使われた「埋甕炉(うめがめろ)」と呼ばれる土器で口縁部が丸みを帯び、縄文中期に名器を輩出した勝坂式の名残のような眼鏡状の突起がついている。先程見た竪穴住居で使われていたものかわからないけど、かつてこの中に火が焚かれていたことを思うと感慨深い。

その手前に直径10cm程の石棒がごろんと横たわっている。石棒は男根をかたどった石の棒で、全国の縄文遺跡から出土するおなじみの遺物。凹みのある陰石とセットで出ることが多く、男女の結びつきを表した呪術具だとされている。子どもの死亡率が高かった縄文時代は命の再生を願うのが基本スタンス。「なんだかんだいってもやっぱりここが原点っしょ」と、石棒は語るのである。

次に石棒の隣にある石器を見る。10個並んだ石器は、打製石斧といって棒の先に縛りつけて土を掘るために使われた道具だ。現代人の目から見ると荒削りなただの石だが、刃の角度や棒の取り付けやすさなど、それぞれに工夫が凝らされた上でのこの形なのだと思う。当時はこれで竪穴住居の基礎工事をしたり、食料にする植物の根などを掘ったりしていたのかもしれない。石と粘土と豊かな自然さえあれば暮らしていける社会なんてちょっとうらやましい気もする。

縄文時代にこの辺りはカシやナラなどの森が広がっていたそうだ。境内には今もアカガシの大木が見られ、往事の姿を忍ばせる。雑木林に囲まれた集落で縄文人は鹿や猪を狩り、木の実を拾い、粘土や屋根の材料となる茅をはじめ、あらゆる素材を自然からもらっていたのだろう。そのような暮らしのなかで、彼らは一体何に祈ったのだろう? と、ふと先程の思いが頭をよぎった。

一説によれば、縄文人は自然の中に神や精霊を感じた人たちだと言われている。そうでなければ、なぜ縄文土器の文様が機能を凌駕してまで発達したのか、なぜ地母神のような土偶を作ったのか、説明がつかないのだ。縄文土器がアートに突っ走ったのは、使いづらさを押し切ってでも気を遣うべき相手がいたからだと、私は思う。それは風が運んでくるものかもしれないし、海からやってくるものだったかもしれない。縄文人はそのような自然のきざしを神と捉え、さまざまな場面で祈りを捧げたのではないだろうか。

狩りをするときや土器で料理をしているときにも、祈りは欠かせなかっただろう。生きているものの命を頂くということは重みのあることだ。そこには感謝の気持ちを明確に伝えなければならない心情があっただろうし、その思いに応えてくれる神も実際、いたと思う。そして、それらの神々は暮らしと密接に結びつきながらさまざまな風習のもとになり、かたや八百万の神として神道で祀られるようになった。それは自然と共生する日本人の心情にもよく表れている。縄文時代に1万年かけて培われた感性は、今も日本人の心の根っこに生き続けているのだ。

最後にもう一度竪穴住居を見て回り、境内の裏手にあるスロープを下って住宅が立ち並ぶ路地に出た。下り坂の先には小田急線の線路。その向こうに代々木公園の森が見える。アップダウンを描く地形に武蔵野台地の存在感を感じながら、山手通りへ。目の前にそびえるオベリスクを見たら、急に現実に引き戻されて境内で感じたことが白昼夢のように思えてきた。なんだか狐につままれたような気分だ。帰りの電車で検索したら、代々木八幡宮は「都内有数のパワースポット」と出た。どうやら芸能人もお忍びで訪れるパワースポットらしい。目に見えないものにすがる気持ちは、今も昔も変わらないということか。というわけで、もしもあなたの家の近くに縄文遺跡があったら、是非訪れてもらいたい。そこは縄文の聖地かもしれないから。


INFOMATION
3月26日(土)〜27日(日)にNPO法人Jomonism(ジョウモニズム)で「縄文・暗闇キャンプ(仮)」やります! 場所は千葉県の里山にあるキャンプ場。電気を使わずに月明かりのもとで過ごす春キャンプです。詳しくはメールでお問い合わせください! jomonism.org@gmail.com 

profile 草刈朋子 縄文ライター
北海道出身。東京造形大学在学中よりインディーズ雑誌を発行。映画のコピーライター、育児雑誌の編集、書籍編集を経て独立。2009年よりNPO法人Jomonismに参加し、縄文関連イベントや縄文アート展の企画・運営に携わる。2014年より縄文ライターとしての活動を開始。縄文カルチャーから現代を見つめるべく、カメラマンのヨッシーを伴い東へ西へ。フェスなどで黒曜石で作るアクセサリー作りのワークショップも行なっている。

profile 廣川慶明 フォトグラファー 
三鷹出身。写真は独学で学ぶ。2012年のワンネスキャンプ〜縄文と再生でカメラマンを務めたことをきっかけに、縄文に興味を持ち、各地の縄文スポットを訪れては撮影し続けている。縄文×現代カルチャーの接点を日々想像。時に空想。

参考文献:『アースダイバー』(中沢新一/講談社)、『日本の神々』(谷川健一/岩波新書)

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