世界平和と環境保護の実現のために 三宅洋平 選挙フェス2013

フェス(祭り)

世界平和と環境保護の実現のために 三宅洋平 選挙フェス2013

ひとりのミュージシャンが先の参議院選挙に立候補した。三宅洋平。
全国各地で選挙フェスと銘打って、ライブと演説を融合した場を作っていった。その場で撮られた映像はネットで配信され、大きなうねりに成長していった。新しい未来を構築するためには、自分たちが動かなければならない。
三宅洋平は、17日間でこのことを伝え続けた。


文・菊地 崇/写真・片岡一史

選挙フェス、17日間25カ所のツアー。

20代から30代にかけての若い世代の投票率の低さは、近年にはじまったことではない。投票率66・73%を記録した1989年の第15回参議院選挙では、60代が80%近い数字に対し、20代は47%。特に20歳から24歳の男子は、34%に留まっている。前回の2010年では、20代の投票率は36%だ。20代の人口はおよそ1300万人。830万人も選挙を放棄したことになる。

ミュージシャンの三宅洋平が、先の参議院選挙に「全員参加型の民主主義」を掲げ立候補した。ありのままの自分で政治に参加する。洋平が選択したのは、「選挙をマツリゴト」にするということ。7月4日の告示日から7月20日の最終日まで、演説を「選挙フェス」と銘打って、全国を巡った。ステージを作り、音響を入れる。三宅を応援するバンドが集結しライブをする。

洋平が初日に立つ場所として選んだのは、彼が若いときに多くの時間を過ごした吉祥寺だった。この街でミュージシャン三宅洋平は成長した。演説のなかで、洋平はこう云った。

「なんのために立候補するんですかって云われるんですね。ただミュージシャンである前に、ひとりの人として3・11以降すごく思うことがあって。『この状況でじっとしているほうがおかしいだろ』って俺は思うんだよね。吉祥寺のクラブで働いていたとき、店長に『おい三宅、フロアに行って踊ってこい』って云われた。みんなが壁にへばりついていてフロアには誰もいない。必死で踊ってたんだ。パッと眼を開けたら、ひとり、またひとりとフロアに降りてきて、俺と一緒に踊りはじめたんだ。俺は常に最初に踊り出す人間になろうって思った。夜はたったひとりのダンサーからはじまるって、そのとき俺は学んだ。特別な気構えも気負いもいらない。今までの俺らのままで、これまでやってきたことに自信を持って、ちょっと永田町に顔を向ければいいんだよ」



まさに、今回の選挙はその言葉通りになった。吉祥寺での洋平の映像がYouTubeにアップされると、洋平が起こした小さな波は、大きなうねりとなって全国に拡がっていった。

新宿、新橋、渋谷、川崎、横浜、沖縄、福岡、広島、神戸、大阪、千葉、渋谷、名古屋、京都、札幌、仙台、いわき、大宮、柏、そして3度目の渋谷。17日間で25カ所のツアー。ほかの多くの候補者が行う街宣と数を比べると少ないかもしれない。けれど洋平の「選挙フェス」には、大きな何かが充満していた。その起因となったのは、まぎれもなく洋平の言葉だ。

3日目の渋谷を終えた時点で、洋平の喉は歌えないほどにやられていた。類い稀なシンガーとしての資質を捨ててもいいとさえ思ったときもあったという。川崎以降は、極力歌うことを減らし、言葉を放ち続けた。洋平は、自分の言葉で、自分の夢をストレートに放つ。「ステージに上がる前はいつも頭のなかは空っぽさ」と笑って教えてくれたことがあった。空っぽのまま群衆の前に出る。そして、その群衆の呼吸を感じ、自分の言葉を放つ。予定調和がまったくない真剣勝負。群衆と向き合うことによって、その場が一瞬カオスとなる。そしてカオスから未来が構築されていく。かつての政治から受け取ることができなかった未来を感じさせてくれる。だからこそ多くの人は巻き込まれ、洋平の元へ集っていった。



終わりなき旅路のはじまり。

洋平は演説でこんな言葉を繰り返す。

「俺が当選するかどうかなんて、これから起こることの小ちゃな副産物。通り道にしか過ぎないんだ。自分が思っているよりもひとりのチカラはでかい。きっかけは作る。俺がひとりでやるんじゃなくて、みんながやるんだ。俺が目指しているのは世界平和と環境保護、このふたつだけ。その実現のための話し合いに混ぜてもらう。とことんチャランケ(アイヌ語の話し合い)する。お互いに学ぶ先に素敵な答えは必ずある」

選挙フェスにいた人はもちろん、配信チャンネルで見ている人にも、同じ目線に立って大いなる夢を話しかける洋平。洋平の言葉によって心に火が灯った人は近くにいる友人や家族に洋平のことを語りはじめた。ネットから飛び出していくこと。そして自分の気持ちを伝えること。それが多くの支持を集めていった要因だ。

「選挙フェス」の回数を重ねていくうちに、演説会場に集う人の数も多く、そこでうごめくエネルギーも大きくなっていった。

最終日の渋谷。洋平は最後に一枚の紙を手にした。はじめて空っぽではない演説。洋平が17日間のエンディングに選んだのは、日本国憲法第9条だった。読み上げる声は強く優しかった。

洋平に投票した人数は17万6870人。個人得票数ではベスト30に入る。支持母体もないなかで、無名の新人候補が獲得した票としては異例の数に違いない。けれど洋平は落選した。

洋平を応援したボランティアとともに、パーティースタイルで選挙結果を見守った。すべてのテレビが、比例区の残り「ゼロ」を伝えたのは、22日の午前3時。洋平はボランティアの前で、そして配信チャンネルを見ていた数千人の前でこう云った。

「今は誇り高い気持ちです。足場はしっかりできた。十数万人の悔しいという想いがこれからのオルタナティブな日本の政治勢力として産声を上げた。大きな一歩目は刻めた。選挙の結果よりももっと大きな目標に向かって進んでいきましょう。これから1000日間で日本を変えましょう」

今回の選挙での20代の投票率は、この原稿を書いている時点ではわからない。けれど、前回に比べ全体の投票率が5%減少しているのに対し、期日前投票は逆に10%アップし、過去最高の数字になった。

三宅洋平の云う、新しいオルタナティブの政治勢力は、確かに誕生している。未来のための種は17日間でまかれた。あとはどう僕らがその種を育てていくのかが問われている。終わりなき旅路がはじまったのさ。

僕らの心を熱くしてくれた三宅洋平に最大限のリスペクトを贈る。




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