アイヌ長老の教え   第2回 イヤィラィケレ(ありがとう)

ローカル(日本)

アイヌ長老の教え 第2回 イヤィラィケレ(ありがとう)

語り部・秋辺得平
写真・片岡一史/切り絵・依田恭司郎

ありがとうは「イヤィラィケレ」という言葉で現されます。前回で取り上げた「イランカラプテ」(こんにちは)と同様に、しょっちゅう使ってはいけない言葉。感謝を現すどんな状況でも同じようにこの言葉を使うのではなく、「イヤィラィケレ」は丁重な言葉であり、めったなことでは用いない言葉なのです。単語から導かれる意味は「私自身死ぬほどに」という凄まじいものです。

人間は、物を頂いたり食事を頂いたりした場合に喜びの声を発します。その喜びの声がアイヌ語では「ヒンナ−」、あるいは「フンナー」であり「ヒョーイオイ」です。例えば美味しいケーキをもらったとしたら、「うわーっ!ケーキだ」と声を出してしまう。この「うわーっ!」が「ヒンナ−」や「フンナー」であり、結果としてありがとうを意味しているのです。

アイヌの場合、感謝の気持ちを表す場合には所作が重要になります。手の平を胸の前でやや上にかざす。そして顔の表情も、気持ちを伝える大きな要素となります。

感謝というのは、命をもらってるっていうことです。生きてるということへの御礼です。特に食べ物に対する御礼。食べ物を手に入れるということは、そんな容易いことではありません。感謝の意を言葉で伝えることは人と人との礼儀であるけれど、本来は人と自然の礼儀でもあるのです。自然界のことを、神々という言葉に置き換えて使う場合が今は多い。本来、食べ物すべてが自然界からの恵みです。

例えば、熊を一頭捕らえたとします。毛皮は敷物になりますし、頭は祭壇の記念品として重要な歴史の証しとして飾られます。爪は工芸品として使われますし、内蔵の胆汁は薬になります。もちろん腸や身体の肉は食べ物になります。しかも熊の肉というのは特別で、さっと茹でて薫製にすると、山歩きする時や旅に出る時の干し肉として使えるのです。つまり旅の弁当になるのです。狩りをする、自然界から物を頂くことは基本的には食べることなのですけど、それ以外に衣服になったり工芸品になったり薬になったり、余すところなく利用できたわけです。ですから獲物をひとつ捕れたということに感謝する、そんな場合には「イヤィラィケレ」を使う。正に自分の命、あるいは自然に生かしてもらっていることに対する御礼なのです。日常生活のなかで、すでにできあがっているものを頂いたり、ちょっとした小物を頂いた場合には「ヒンナ−」や「フンナ−」という言葉によって表現するのです。

アイヌ民族にとって主食になっていたのは鮭であり鱒でした。そして鹿。春になれば鱒が大量に捕れましたし、秋になれば鮭が沢山捕れました。冬になれば鹿が沢山捕れました。熊はもう特別な存在です。ちなみに、熊に比べ鹿の肉は腹持ちがよくありません。すぐにお腹がすくのです。大量に捕れるものですから多くの量を食べられるようになっている。

非常に重要な感謝に対して「イヤィラィケレ」を使う。いかに人間が自然界のなかで生きているのか。人間が自然を保護するということではなくて、人間こそが自然界に保護されている。その思いに立つ。そのことが「イヤィラィケレ」、ありがとうという感謝の言葉に深く関わっているのです。ですから、大いなる恵みに対する感謝の言葉が「イヤィラィケレ」であり、「イヤィラィケレ」は日常生活のなかではめったには使わない言葉なのです。

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 私 自身 死ぬ させる  死ぬほどに・・・うれしい

                
profile 秋辺得平  
1943年、千島ウルプ島生まれ。アイヌの人権問題に広くかかわるとともに、文化継承にも力を入れ、釧路アイヌ民芸企業組合をベースに精力的に活動を続ける。

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