アイヌ長老の教え   第3回 アイヌレヘ(人の名前)

ローカル(日本)

アイヌ長老の教え 第3回 アイヌレヘ(人の名前)

語り部・秋辺得平
写真・廣川慶明 /切り絵・依田恭司郎

私が長老からアイヌの教えを最初に学んだのは、24〜25歳の頃でした。当時私は、阿寒湖畔の土産物屋におりました。昭和40年代のことです。終戦から20年が経過して、いわゆる北海道観光がブームになりかけていた頃です。アイヌのことを、ややロマンチックなものだったりエキゾチックなものに仕立てて、観光のネタにしようとする風潮があった時代です。なんでアイヌのことをねじ曲げて伝えなければならないんだろう、そんなことを思い、土産物屋で買い物をしてくれるお客さんに、私が知っていたアイヌのことを話していました。

近くに四宅ヤエさんというおばあちゃんが住んでいました。アイヌ文学も覚えていらっしゃるし、アイヌ語を話す数少ないお年寄りです。

ある日、私が山菜を取りに行こうとしていた時のことです。私の店の前を通り過ぎようとしていたら、「あんちゃん、アイヌのことを話してるんだってな」って言うんです。気恥ずかしくなって「まぁまぁ」と応えたんです。

「ところでな、アイヌの考え方で、人間が持ってる持ち物で一番大切なもの、何か知ってるか?」とおばあちゃん。

ふと考えて、一般的にはお金とか名誉とか地位という答えなのだろう。おばあちゃんがわざわざ質問してくるものなのだから、世の中で言われるものではないはず。家とか財産というものでもない。普通に考えたら精神とか心、あるいは愛。そういう形のないものなんだろうけど、でもおばあちゃんの顔を見ていると、答えはどうも違う。

「あんちゃん、わかるか?」と聞き返してきました。
「いやぁ、ばあちゃん、わからない」
「山で考えてきて、帰りに出てきた答えを聞かしてくれ」 
 何時間の後、再びおばあちゃんに会いました。
「あんちゃん、わかったか?」
「いやぁ、ばあちゃん、いろいろ考えたけど結局はわからない。教えてくれ」
「それはな、アイヌレヘっていうものなんだ」

アイヌレへ。アイヌというのは<人>という意味です。レへは<名前>のこと。つまりアイヌの教えでは<人名>が大切だということなんです。

「お前にとって、一番大事な持ち物はお前の名前だ」と。「名前は何ていうんだ?」「得平って言います」「それだ。それがお前の一番大事な持ち物だ」と言うんです。

アイヌでは、幼い頃から悪いことするな、人のもの盗むなと教えられます。当たり前のことです。当り前のことだけれども、凄い重要なことでもあるのです。

例えばベッカム。会ったこともない外国人だけれど、今なら日本に住む小学生でも知っている。どんなことをしている人なのかも、多くの人が知っています。たとえ肉体が滅びて死んでしまったとしても、名前はなかなか死ぬことはありません。

「お前はいずれ死ぬ。でも、お前の名前は残る。アイヌはお前が死んだときのお葬式で、お前が、生前どんなことをしていたか包み隠さず話す。それがアイヌのお葬式なんだよ」

日本の多くのお葬式では、死者に鞭打たずという風習で、亡くなった人の悪口は言いません。良い部分だけを褒め讃える。アイヌでは、隠し事があったとしたら、魂があの世に行けないのです。包み隠さず、すべてを披瀝することで、死者の魂はあの世へ行ける。もし悪い行いをしていたことを隠したりすると、魂はうろつくだけで、この世へもいられない、あの世へも行けない、という状態になってしまう。

「アイヌのお葬式は生前のことを全部言う。だから、お葬式のときに、悪いことを言われたくないだろう」と。つまり、生きてる間には悪いことをするなという教えなのです。

悪いことするなという教えは単純で当たり前のことです。けれどその持つ理由は深いものがあるのです。

名前が一番大切なものなんだよという教えの根拠が、アイヌの昔の日常の暮らしのなかに生きていたのです。

profile 秋辺得平  
1943年、千島ウルプ島生まれ。アイヌの人権問題に広くかかわるとともに、文化継承にも力を入れ、釧路アイヌ民芸企業組合をベースに精力的に活動を続ける。

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