アイヌ長老の教え 第4回 食物をいただく

ローカル(日本)

アイヌ長老の教え 第4回 食物をいただく

語り部・秋辺得平
写真・片岡一史/切り絵・依田恭司郎

アイヌの儀式に『カムイノミ』があります。『カムイ』とは神のことです。火の神を中心にしながら、さまざまな神々にお祈りをするわけですけど、そこでは供物をたくさん用意します。特に祖先供養の場合には、本当にたくさんの供物を用意します。

いつだったか、ふと気が付いたら供物のなかに花がない。そのことを長老に尋ねたのです。「アイヌは花を折ってはいけない」と応えが返ってきました。

「どうしてですか?」とさらに質問を続けたら「花は次に種を残すために咲いてるんだ」と。「花は次の命を作るために咲いている。花が咲いているとき、あるいはつぼみのときにその植物の茎を切ってしまったら、花は次に命を繋げなくなってしまう。だから花が咲いているときには取ってはいけない」。

山菜でも同じです。山菜はアイヌにとって大事な食物です。山菜にしろ筍にしろ行者ニンニクにしろ、若い芽のほうが美味しい。しかし、その美味しい時期にある若い芽はめったに食べません。長老はこんなことを言います。

「火に鍋をかけたときぐらい、食べていい」つまり、一回くらいは食べてもいいということ。

大切な食糧は大量に収穫して保存しておきたい。生きていくためにはしなければならないことです。ではそのためにはどうしたらいいのか。

「花が散って、種が落ちてからにしろ」と長老。
「それでは美味しい時期を外してしまいます」
「花が散ってからでも、けっして不味くない」

旭川のアイヌのお宅にお伺いしたときのことです。家のなかに行者にんにくをはじめ、多くの山菜が干してありました。多くの方がイメージする食べる際の山菜に比べ、数倍にも大きくなったものでした。種を蒔いた後の葉になったものを、山から持って帰ってくる。そんな植物をアイヌ語では『プクサ』と言います。『プクサ』、つまり子孫を残し終えたものを、我々の食物として収穫する。愛でる花にしても、花の茎を折ってはならない。つまり生け花という習慣が、アイヌにはないのです。

鮭も同じです。アイヌは産卵後の鮭を拾い集めます。「火に鍋をかけておいたときぐらいは、鮭を1本ぐらいとってきてイクラも食べていいよ」と。山菜と同じです。

2006年5月にお亡くなりになった萱野茂さんが書き残した民話の中に『ひとつぶのサッチポロ』があります。萱野さんはアイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けたアイヌ初の日本の国会議員です。「日本にも和人以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行った方です。『サッチポロ』は『干したイクラ』という意味です。『サッ』が『乾く』、『チポロ』が『イクラ』。その民話では、イクラも一粒ずつ食べなさいと教えています。命をいっぱい口に放り込むイクラ丼なんかもってのほかです。

アイヌは肉や魚も基本的に干します。鮭も『ホッチャレ』と呼ぶ産卵後のよれよれになったものを拾ってきて、背開きにして乾燥させます。これは5年も10年も保ちます。命を繋いだ後の魚体をいただくのですから、鮭の命を遮らないし種の保存を邪魔しません。しかも産卵後の『ホッチャレ』の鮭を頂くときにも、川に入って拾うときには最初にオンカミするのです。「1本目は狐さんの分。2本目は鳥さんの分」と感謝する。最後に「はい、自分たちの分」と持ち帰ってくるのです。

自然界のなかでは、自分が存在する周りには動物たち、つまり神々がいる。動物たちは人間を避けて眺めているだけ。だから常にそのカムイたちにもお裾分けをしなければならない。そして欲をかかずに必要なだけいただいたらすぐ帰りなさい。そういう教えなのです。

食べることに関して「感謝する」という表現をよく用います。実際には食べるものに感謝するとはどういうことなのか。食べることとは、まさに命を食うわけです。生物たちに感謝して、命を繋いだもののみいただく。山菜であれ穀物であれ魚であれ四つ足の動物であれ、すべてに対して同じ考えなのです。
 
profile 秋辺得平  
1943年、千島ウルプ島生まれ。アイヌの人権問題に広くかかわるとともに、文化継承にも力を入れ、釧路アイヌ民芸企業組合をベースに精力的に活動を続ける。

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