アイヌ長老の教え 第7回 赤ちゃん

ローカル(日本)

アイヌ長老の教え 第7回 赤ちゃん

語り部・秋辺得平
写真・片岡一史/切り絵・依田恭司郎

人間が持っている持ちもののなかで、一番大切なものなのがアイヌレへ(名前)であると、以前ご紹介しました。

ただアイヌでは、生まれたての赤ちゃんに名前を付けません。ではいつひとりひとりの赤ちゃんに名前が付けられるのか。2歳から3歳になって、言葉を喋るようになってからです。喋るようになるまでは人間ではない。

「アイヌでは赤子はカムイなのだ」とアイヌの長老。

赤ちゃんは人間ではなく神様なのだと言うのです。

「よく赤子を観察してみなさい。赤子というのは、泣けばおっぱいがもらえる、泣けば寝かせてもらえる、泣けば抱っこしてもらえる。自分が何かして欲しいときには、言葉で意志を伝えるのではなく泣くことによって叶えてしまう。言葉がいらない存在。泣けば用が足りる存在なのは、神様以外には有り得ないのだ」と。

神様なのだから、しつけをしてもいけない。しつけは、言葉を覚えるようになってからでいいと言うのです。言葉を覚えることによって神様が人間になる。人間になるとわがままを言うようになる。どうしようもないっていうほどの嘘を言うこともあります。自分の欲求を満たすために嘘を言う。嘘泣きということも平気でするようになる。

赤子が神様というのは、アイヌの教えでは入口にすぎません。子供を大切に育てなさい、ということがもっと大きな教えなのです。

赤ちゃんはカムイなのだから、産んだ母親のものではない。母親は、神様から一時預かっているだけ。だからしつけをしなくてもいいし、一喜一憂するなと教える。「それでは赤ちゃんは誰のものなのですか」と聞くと、「コタン(村)みんなのもの」だと言うのです。

親が責任を持って育てなければならないのですけど、村のみんなが赤ちゃんの面倒を見るという気持ちを持っている。これがすごく重要なことなのです。隣に住んでいるおじいちゃんもおばあちゃんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、村のみんなが育ててくれる。みんなが面倒を見るということは、今の日本では考えられないことです。赤ちゃんは自分のものだ、と思っている親が多い。そう思うからこそ、日本かしこでおかしなことが起こっているのです。アイヌの世界では、赤ちゃんはコタンのものであり神様なのですから、万が一、事故があったとしても周りみんなで眼を光らせている。人様の子供なんかにかまわないでちょうだい、なんて考えの親はいません。

言葉を喋る頃になって、その子供の特長が見えてきたら名前を付けますが、それまでは赤ちゃん用の呼び名を使います。例えば『ポンション』。『ポンション』とは<小便まみれ>という意味です。神様だった赤ちゃんに、なぜそんな汚い名前を付けるのか。「汚い名前のほうが、病魔も近づかない」ということなのです。

汚い名前を付けたからといって、不潔にするわけではありません。21世紀の今と違って、かつては赤ちゃんの生存率は低かった。一番怖かったのが、子供が病気になってしまうことです。ですから、なるべく病魔の手が襲いかからないような名前を付けていた。

アイヌは命をとても大切にします。命とは、人間の命とか動物の命だけではなく、花や木の命も、生きるものすべての命です。

もちろん、死ぬということも大切な帰結です。死も自然の摂理なのです。死を大切に受け入れるからこそ、生を受けたものをきちんとみんなで見守る。赤ちゃんが神様という教えは、命を大切にするという教えでもあるのです。


profile 秋辺得平  
1943年、千島ウルプ島生まれ。アイヌの人権問題に広くかかわるとともに、文化継承にも力を入れ、釧路アイヌ民芸企業組合をベースに精力的に活動を続ける。

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