アイヌ長老の教え 第13回 民族衣装

ローカル(日本)

アイヌ長老の教え 第13回 民族衣装

語り部・秋辺得平
写真・片岡一史/切り絵・依田恭司郎

アイヌは、自然界の素材をそのまま使うのではなくて、その素材が持つ特性を活かし、巧みに用途を使い分けていました。そして作る人が着る人への思いを込めて文様を施していた。その文様が自然界のパワーと密接に関係していた。衣類という身近な存在からも、自然や交易といった外界とのつながりを受け入れ、それを利用して文化として表現していく。アイヌはやっぱりすごい人たちだったと思います。ですから、私たちが民族衣装を儀式などで着る際には、先祖の培って来た文化の表現について誇りを持って着用することができるのです。

最近、小学校や中学校に郷土史の勉強で招かれることが増えてきました。そんなときには、民族衣装を着用しています。文様をファッションショーのようにして前からも後ろからも子供たちに見せています。すると決まって「うわーいいなー!」とか感嘆の声をあげる。そして民族衣装を子供たちに着てもらう。子供たちはさらに喜びます。

子供たちに私は質問します。
「君たちが今、着ているものって洋服だよね」と。

みんな洋服を着ています。でも洋服という意識がないのですね。私はアイヌの民族衣装を着ている。「これはね、アイヌの民族衣装なんだよ。ところで君たちの民族衣装って何?」と質問を続けます。その質問に答えられる子はほとんどいません。みんなきょとんした顔をしています。

女の子は振り袖や着物と答える子がたまにいます。答えが出てくる男の子はまずいません。羽織や袴なんて言葉は出てきません。

衣類の儀礼に関してユニークなものがあります。遠来のお客さんをお迎えする際は、はちまきを外し、帯をほどきます。「あなたを傷つけるための武器は何ひとつ持っていません」ということを意思表示をするために、全部はだけてしまう。そもそも基本的にはアイヌの着物は和装のような帯をしません。山に入る場合や仕事のときに腰紐をしました。

アイヌ民族に限らずいろんな民族が自分たちの民族衣装を着ています。例えばインド人のある宗派の人はターバンを頭に巻く。そのことは自分たちの衣類が何なのかわからない日本の子供たちだって知っています。「ターバンを巻いているのはインド人だ」と。自分が何者なのか、そのことを和人はなかなか言えません。

日本に限らず、民族衣装というものに対する思いがどんどん希薄になっているのかもしれません。わたしたちアイヌも、アイヌ文化に関わっている人間は着るけれど、それ以外のほとんどのアイヌの人たちは伝統的なアイヌの着物を着ていません。明治以降の近代化のなかで、文化が消されていったのだと思います。韓国人も同じような状況でしょうし、中国人も着ているものはほとんどが洋服です。しかし韓国人や中国人の多くは民族衣装を持っています。儀式などの際には着用します。その民族衣装がもっている意味や歴史、それが自分たちの文化を象徴しているということを、無意識のうちに自覚しているのでしょう。衣類が伝統となって継承されていっています。

衣服というものが、単に防寒のためとか、パリコレクションやミラノコレクションのようなかっこいいということで終わってしまうことは、一種のグローバリズムなのかもしれません。

地域社会や自分たちの人間としての地域の象徴がどんどんと失われつつある。これは日本やアイヌに限ったことではなく、世界中で起こっていることです。衣類や文化だけではなく、食べ物も同じようにどんどん西洋化しています。民族衣装を着ること。民族衣装を知ること。それは、自分が何者かを知る手掛かりとなるはずです。


profile 秋辺得平  
1943年、千島ウルプ島生まれ。アイヌの人権問題に広くかかわるとともに、文化継承にも力を入れ、釧路アイヌ民芸企業組合をベースに精力的に活動を続ける。

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