縄文の心得 no.1 縄文−生命の感受性に学ぶ

ローカル(日本)

縄文の心得 no.1 縄文−生命の感受性に学ぶ

文・草刈朋子(縄文ライター)写真・廣川慶明   

はるか昔の日本列島で起こった縄文文化。アートの萌芽を感じさせる躍動的な土器の文様を通して、自然との密接なつながりの中で培われたものの正体に迫る。


 竹宇1遺跡出土土器(北杜市教育委員会蔵)

なぜ文様は土器から消えたのか

縄文は最終氷河期の終わりから、本格的な稲作農耕が始まる前までの、1万年以上続く長い時代。日本列島に最初に定住した人びとが、狩猟採集をしながら今につながるさまざまな道具や習慣、価値観を生み出したフロンティアな時代だ。

世界的に見ても非常に古くから土器が作られ、“縄文”の由来となったより糸を表面に転がしてつける縄目文様だけでなく、貝殻で型押ししたり、粘土紐で文様をつけたり、各地で芸術性の高い、高度な技術を伴う土器が出土している。

しかし不思議なことに弥生時代になると、あれほどこだわっていた文様は控え目になり、つるりとした質素な土器が登場する。シンプルで機能的ではあるが、縄文土器に見られるアートの息吹は見られなくなるのだ。

そう書くと、縄文人が大陸から稲作や鉄器の技術を持って渡って来た人びとに駆逐されたかのように聞こえてしまうが、決してそんなことはないだろう。DNA分析によって渡来人と縄文人は混血していったことが明らかになっているからだ。ならば、なぜ文様は土器から消えたのだろうか。


生き物の命を食らう器

東日本が記録的な大雪に見舞われた2月。青森県立美術館で、縄文現代アートを集めた展覧会ARTS of JOMONを開催した。制作スタッフの私はそこで、その不思議な作品と初めての対面となった。赤茶色に焼き締められたそれらは、人の腰程の高さのものから全長4mの大作に至るまで、どれも立体的な渦巻文様でびっしりと覆い尽くされ、ある種の異様なオーラを放っていた。じぃっと見つめていると、今にも蠢き出しそうな不思議な迫力。燃え盛る炎や、うねり泡立つ文様は、縄文土器を思わせた。それもそのはず、縄文の人びとがやったように空の下、野の上で焼かれた作品だ。作者は縄文野焼き技法の第一人者、猪風来さん。縄文を創作の源とし、現在は岡山県にある自身の美術館を拠点に活動する現代縄文アーティストだ。作品の異色さだけでなく、その生き方も際立っていた。

80年代初頭に野焼き技法を復興し、一躍ときの人となりながらも、「技法上は成功したが、似て非なるものを作ってしまった」という思いがあり、縄文の真髄を掴むために家族と北海道へ渡る。厳しくも美しい大自然の中で、自給自足で暮らしながら竪穴式のアトリエで創作を続けること、なんと20年。

「暖かい季節は畑仕事をし、冬が来ると粘土をこね始め、ぶっ通しで作って、春に野で焼く」そんな自然のサイクルに沿った暮らしから得た感覚と、アイヌや沖縄の人たちとの交流を通して学んだ考え方がその世界観を作り上げている。

猪風来さんは自身の作品を「勾玉文様のスパイラル造形」と呼ぶ。文様がどのような意味を持つのか尋ねてみると、こう話してくれた。

「渦巻き文様を見ると、始まりのところは勾玉の形をしているでしょう? 勾玉とは胎児、つまり命の根源の形です。縄文土器もまた命を表した勾玉を連動させたり、反転させたり、増殖させた文様で成り立っています。ひとつで完結せずに連続する文様は、命が豊かに実る様子であり、命の豊饒そのもの。そもそも土鍋は野草や木の実、猪や鹿などの獣の肉を煮たり焼いたりするもの。自分たちとは違う生き物の命を食らうわけですよね。だから土器は尊厳ある生命と等しく、最も尊厳のある形でなければいけなかった。それで土鍋に文様をつけて、魂を込めたんですね」

アイヌは狩猟で仕留めた熊をいただくときに魂を神々の世界に還すイオマンテという儀式を行うが、それに通じる考え方でもある。

思えば自然とは一定しないもの。風が吹き、雲や潮や水は流れ、植物は揺れ、火は踊り、太陽は東から西へと回る。縄文人はそうやって動き続ける自然を生命として見たのだ。

縄文人は季節の動きにも敏感だった。夏至や冬至を知らせるストーンサークルの存在は、循環という概念がこの頃からあったことを今に伝えている。青森県立美術館に隣接する三内丸山遺跡では巨大な六本の柱跡が出ているが、復元してみると柱の方向は夏至の日の出と冬至の日没にぴったり一致するのだ。

春に命が芽吹き、色とりどりの花が咲き、実りを迎え、やがて冬に死んでも、また次の春には命が蘇る。そのような循環が自然の摂理に従って行われることで自分たちが生きていけることを縄文の人びとは知っていた。だから命が満ちる様子を文様で表し、母なる地球に祈った。縄文土器文様とは命の再生を願う祈りの造形なのだ。


脳が持つ2つの思考

北海道の考古学者、大島直行さんは考古学者には珍しく、縄文人の精神世界を真正面から説いている人。6月に東京・青山で開いた大島さんのトークセッションで興味深い話を聞けた。

「人間は合理的にものを考える脳と神話的にものを考える脳を持ち、環境によって使い分けています。問題は生まれた環境によってどっちにスイッチを入れるか。狩猟採集社会の縄文の人たちは、合理的なものの考えよりも、神話的思考で暮らしていたのでしょう」

神話的思考とは、山や岩などに八百万の神を見出す日本の神道や、ものに魂が宿るとするアニミズムにも共通するものの考え方だ。

さらに大島さんは、「縄文人は避けて通ることのできない“死”から逃れるために“死なないもの”を次々とシンボル化した」と言う。

医学博士でもある大島さんは、人間の脳の形は10万年前にホモサピエンスが誕生して以来、進化していないと言う。「人間はそれほど早くは変わらない」ということだ。


再び、なぜ文様は消えたのか

土器のスタイルが変わったときのことをもう一度考えてみたい。

稲作に代表される食料生産を本格的に始めた人びとが得たものとは、一体何だったろうか。黄金に輝く稲穂の風景と白い米のおいしさに喜ぶ古代人の顔が浮かぶ。日本人なら誰もが持つ豊かさの原風景は、きっとこの弥生時代に生まれたに違いない。しかしその反面、労働が始まり、おのずと土器作りに費やしていた時間はなくなっただろう。米などの作物に特化した農耕に転換したことで、自然を効率よく利用することを考えるようになり、やがて経済という価値観が芽生えるが、同時に持てるものと持たざるものという格差も生まれ、戦のもとが生まれていった。それでも日本各地には自然と共生する縄文由来の文化が、高度経済成長期の前までは脈々と育まれてきたわけだが、都市化が進む現代においてはそれすらも急速に失われようとしている。土器から文様が消えたことと、2300年後の今、自然が遠い存在となったことは無関係ではない。

自然から離れた私たちの暮らしは大変便利になった。合理的であることが最も素晴らしいとされる現代においては「めんどうくさいこと」が大敵で、「思い通りになる」ことがよしとされ、次から次へと暮らしを快適にする技術や商品が生まれている。しかし、その一方で人間の根幹である命をないがしろにする傾向が年々強まっていることは否めない。心の病は深刻化し、自ら命を絶つ人はあとを絶たず、あろうことかわが子に手をかけてしまう悲しいニュースはいっこうに減らず、インターネットでは毎日のように匿名で暴力的な言葉がささやかれている。原発推進政策は経済を優先するあまり、 生命を軽んじる傾向を顕著に表している。私たちは合理性を求めるあまり、命に鈍感になっていないだろうか。

縄文時代に濃厚な神話的感性にどっぷり浸かり、のちに合理性を身につけた私たちは、今一度そのバランスを見つめ直すときがきているようだ。縄文土器の文様は、周りをとりまく自然と本質的なつながりを持ち、命と積極的に関わりを持った縄文時代の人びとの心の豊かさを物語る。その原点を忘れてはいけないのだ。

私が所属するNPO法人ジョウモニズムでは、縄文アートを集めた展覧会や縄文をコンセプトにした野外音楽フェスティバルなどを行っているが、意外と縄文的な価値観に共感する人が多いことを肌感覚で感じている。来年、私たちは東京で縄文アートの展覧会を企画している。それが縄文1万年間を通じて培われた自然と命をめぐる神話的センスを蘇らせる、ささやかなきっかけになることを願ってやまない。



人面装飾付土器(山梨県立考古博物館蔵)

NPO法人jomonism

「縄文の思考」小林達雄(ちくま新書)

「月と蛇と縄文人」大島直行(寿郎社)



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