近くて遠い水の話 鳥越皓之 早稲田大学人間科学学術院

ローカル(日本)

近くて遠い水の話 鳥越皓之 早稲田大学人間科学学術院

地域の水を飲んで暮らす。
今こそ井戸水、湧き水の在り方を考えたい。


「飲水思源」という言葉がある。「水を飲む者は、その源に思いを致せ」という意味だ。現代の上水道システムが発展してきたなかで、見落としてしまったことは何だろうか。持続可能な社会を求めるなかで、水の捉え方のヒントを教えてもらいに、早稲田大学教授の鳥越皓之さんをたずねた。

文・渡辺亮/写真・伊藤 郁


量的発展から質的発展へ

鳥越皓之さんは、環境や地域に関わる社会学や民俗学を専門にしている大学教授。地域の町づくりやコミュニティづくり、また地方自治体の政策面で指導することも多い。まずは、地方政府の政策に関する最近の動向からお話を伺った。

「大きな社会の動きに対し、東日本大震災はとても大きな契機になりました。私は全国のさまざまな市長、町長とお会いする機会が多いのですが、『もう、今までのマスタープランでは駄目だ』とおっしゃる。マスタープランというのは、市や町がつくる計画のことですね。その計画に基づいて予算の根拠を決めたりするのですが、このマスタープランを変えないと、市民や町民は納得しないという言い方に変わりました」

これまで市や町は、このマスタープランに合わせて、大型のショッピングモールや工場を誘致しようとしてきたという。つまり地方自治体における政策の中心は都市の経済的発展という発想だった。

「実は、この流れを変える動きは、市民,町民のなかでは、かなり前から出始めていました。いわゆる住民によるまちづくり運動は、第一目標に経済的な豊かさを置くのではなく、生活の質の豊かさを重視する発想なのです。この量的発展から生活の質のほうへの転換は、平成時代に入った頃から、明確に見え始めてきていました。ただ、そのころは中央政府も地方政府も経済発展論だった。ところが、東日本大震災によって、市町村が明らかに変わりました。今、地方自治体の政策に地域コミュニティの強化に関する項目が具体的に出はじめているんですよ」

上水道の長所と短所

そのような大きな社会の動きがみられるとして、生活にもっとも重要なライフラインである水については、どのように捉えていけばいいのだろうか。現在の大規模な上水道システムでは、非常に良い面がありつつもさまざまな弊害も含まれているという。

「まず、これまでの上水道で言いますと、コレラとかのいわゆる流行病の関係で、衛生的である必要があって、上水道に塩素投入をずっとし続けています。それによって、流行病がなくなったので、上水道の役割は大きかったと思うんですよ。それから上水道は、女性、子どもの負担を減らした。朝、共同井戸から女性と子どもが水を汲んで、それを自宅まで運ぶ。あるいは、深井戸になっていて、水を汲み上げるのに労力がかかる。この労働をね、女性も子どももそれこそ数百年間つづけてきたわけですから。それから解放されたということは、とてもいいことだと思うんです」

これが主な上水道の長所の面。しかし、近年、短所の面として、次のようなことが目立ち始めてきたという。

「一つはこの上水道を持続するのに、どこの地方自治体もすごい赤字だということ。これは計算の仕方によって、随分差があるのですが、水道局で働いている職員の給料や、日々かかるメンテナンス費用、また、水を引いてくる先のダムの工事費まで含めたら、驚くほどの赤字を背負っている。それと、衛生的なのは確かですが、必ずしも健康的ではないのです。調査結果によると、塩素投入により、約10万人に一人がトリハロメタンでガンになるのですが、それくらいだと日本の基準で安全ということになります。ただ、日本の全人口で考えたら、大変な人数だと思いませんか。それから、鉛管を使用している地域も結構あって、体に害を与える鉛が溶け込んでくる場合があります。さらに、東日本大震災のような震災があると、水道管が寸断されるんです。つまり、災害時対応としては、上水道はとても不便なのです」

次に、主な水源となっているダムの水質に関することで、その問題点を指摘した。

「ダムについては、周辺の集落からの生活水が流れ込んでいて、例えば洗剤などは除去できずに薄くなっているだけなんですね。上水道局は、生物処理などをして除去しようとしているのですが、化学物質を投入すると、体に悪い化合物を生成する可能性があるので、それができないのです。化学物質の塩素は仕方なく使っていて、その結果、トリハロメタンが出ているわけですね。また、住民はダムの水が遠くの場所へ運ばれることを知っていますから、下水に気を付けましょうと言っても、自分たちの使った水に対して関心がとても低いのです」



地下水利用の未来像

そんななか、現在上水道を持っていない自治体の中では、地下水を利用しようという動きが少数ながら出始めてきている。例えば、北海道東川町では、各世帯に井戸を掘ることを勧める方針をとっている。

「太さ6cmほどのパイプを大体20mくらい掘るのですが、費用が1mにつき1万円から1万5千円ほど。仮に1万円として、20m掘るのに、20万円です。それから電気で吸い上げるモーターが大体10万円。だから平均のお金が30万だとして、当然その後の水道料金は無料です。そのような町が出てきているのですよ。当然ですが、役場にとっても上水道の費用が不必要なのです。メンテナンス費がかからず、ゼロになるわけです」

東川町では、役場から複数の業者を紹介され、例えば掘ったけれども水が出て来ない場合は、再掘削の費用を役所が補助をする。その予算は年間500万円だが、これまでこの予算を超えたことはないそうだ。かかる維持費は大体15年に一回変えるモーター代と吸い上げる際にかかる電気代。電気代と言っても蛇口をひねった際に動くだけなので、ほとんどかからないという。それで、空気に触れていない、美味しくて健康な水が飲めるわけだ。

「井戸のいいところは、遠くのダムから水を持ってくる必要がなくなるということ。自分たちがその地域の水を飲むことになるわけだから、水に関する意識が高くなります。役場も、例えば下水道に不備がみつかれば、迅速に対応するようになります。それから周辺の森林を保全し始めるんですよ。山は水を保持しますから。スギ植林ばかりだったのを、少しずつ、本来、山に生えていた木に切り替えていく。だから水についての施策・方針を変えることによって、まわりの景観がとても変わってくる。ただ、この話は日本の全ての地域でできるわけではなく、特に東京都の地下水はすでにかなり汚染されているので、そのような都市域では今までの上水道を利用せざるを得ない。しかし、日本の森林率は世界で2番に入るくらい大きいことに気付く必要があって、つまり、山の水が使える範囲がとても広いんですよ」

水から生まれる地域のコミュニティ

かつての井戸水、湧き水は共同で利用するところが多かったという。水は毎日必要なものなので、毎日そこに人が来て、顔を合わすことが出来た。そうした空間が今でも生きている例として、鳥越さんは長崎県の島原市船津地区という住宅地の浜の川湧水を紹介してくれた。

「私が数えたら、浜の川湧水を1日129人が使っていました。それはそこから歩いて2〜3分の距離に住む人たちのほとんど全員が使っているという数字ですね。この町内には水道水も通っているのですが、やはりそこの水が美味しいということで人が来る。また、美味しいだけの理由じゃなくて、人って一人で家にいると、退屈じゃないですか。高齢者は特にそうで。その時、1〜2分歩いた先の水汲み場に行くと、誰かがものを洗っていたり、水神さまに拝んでいたり、行けば誰かと雑談できる。そして、これはもの凄く心の慰めになる」

とくに昔は、野良仕事が終わったら、服も体も洗わないといけないし、作業で使っていた馬も洗わないといけない。また、水汲み場のところには、魚とかエビもいるから、子どもたちにとっても遊び場になっていた。だから、老若男女、多くの人が集まる場だった。今、思い出すと、それがとても楽しかったと地元の人は言うそうだ。

「これまでの行政は、人々から『ねばならない』という義務感を奪っていったと思うのです。地域の川や池の掃除とか。それをある種の親切で、その多くを行政が肩代わりすることになった。例えば、三面コンクリートにすれば、草が生えませんから、掃除はほとんど要らないですよね。けれども、私の大きな哲学としては、質の時代に入ったら、政策としてこの義務感を市民に植え付けていく必要があると私は思っています。『ねばならない』という義務を、プラスの価値のニュアンスとして考えていく。義務で動くとそこには共同の人間関係が生まれるのです。それはこれからの時代だと思うのです」

水のポストモダンという考え方


「自分たちの住んでいるその地域の水を飲むというところの、水の地産地消。それは、まだ少ししか、始まっていません。そこで重要になるのが、ポストモダンという考え方です。例えば、農業で言うと、有機農業はポストモダンでしょう。有機農業は、何も江戸時代の農業に戻っているわけじゃない。ちゃんと一サイクルしているのです。だから、水もね、江戸時代の用水、井戸水に戻れと言ってるわけじゃないのです。水のポストモダンを考えていきましょうということです」

身近な水に意識を持つ。そしてそれぞれが暮らす地域で、水を中心とした環境や人々の繋がりについても考えてみる。私たちが望む水の在り方はその地域の未来像へと繋がっているのだろう。

PROFILE 鳥越皓之
社会学者、民俗学者。沖縄県生まれ。早稲田大学人間科学学術院教授。専門は環境社会学、環境民俗学、文化人類学。日本社会学会会長。「生活環境主義」という環境の理論で知られている。

鳥越皓之著 『水と日本人』(岩波書店)
日本の伝統的な水利用や水の信仰を紹介しつつ、上水道、水場の公園に関する著者の見解を述べている。水辺のコミュニティ空間や水辺の景観、観光に関する分析を踏まえて、これから井戸や湧き水とともに暮らす意味を探る。「飲水思源」提言の書


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  88 35号(2013.10.31)

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