災害ボランティアの活動から 見えてきた日本  肥田 浩

ローカル(日本)

災害ボランティアの活動から 見えてきた日本  肥田 浩

文・甲藤麻美

2011年3月11日、東日本大震災発生。この日誕生日を迎えた肥田浩さんは、いつものように名古屋にある自分のタイ式マッサージのお店で働いていた。それまで、〈戦争よりも祭りを5・5〉(2002年開催)や〈すべてのいのちのまつり〉(2010年開催)をはじめ、数々の平和的メッセージ性の強い〝まつり〟を主催・サポートしていた肥田さん。震災発生時は、〝まつり仲間〟からの「とにかく来て」という要請を受け、4月3日に石巻入りした。

以降、名古屋の店は人に任せ、自身は拠点を石巻に置いてボランティアを続けながらも、全国各地の災害発生現場にボランティアとして赴くことになる。同年7月の新潟福島水害では南会津金山町。9月には紀伊半島大水害で和歌山県那智勝浦町。2012年5月にはつくば竜巻災害でつくば市。9月に九州北部豪雨で南阿蘇市と阿蘇市。2013年10月には伊豆大島台風災害で大島。今年2月の甲信越大雪災害では秩父市に入った。

現場では被災状況の把握、役場との調整、<社会福祉協議会>によるボランティアセンターの立ち上げサポートなど、ボランティア活動が円滑に行われるための現場コーディネートを精力的に行っている。

行政などからの支援は受けず、移動手段が車(一般道使用)なら、寝泊まりもほとんどが車かテント。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を思わせる人である。



まつりで復活

石巻に行こうと思えたのは、東北で生まれ育ったことが大きいのかもしれない。そして自分の命が100年もないなかで、1000年に一度と言われる災害が誕生日に起きたことは、神様がやりなさいと言っているようにも思えたんだ。

自分が石巻に行けたのは、2011年の4月3日だった。簡単な言い方でしかないけれど、現実ではないかのような世界。どこから手助けしたらいいのかもわからない状況だった。そんななか、今の活動の原点になっている明神社(伊去波夜和氣命神社)に出会うことになる。そこは周りが全部津波に流されたなか奇跡的に助かり、多くの人の命を救った神社だ。

自分はそれまでいろんな〝まつり〟をやってきたけれど、被災地に行って思ったのは、災害ボランティアも〝まつり〟も一緒だということ。要は、できる人ができることをする。それならば石巻もまた〝まつり〟のエネルギーで復活しかない。そこで、みんなに「全然早い」と止められながらも、2011年5月に〈まつりで復活石巻〉という〝まつり〟を明神社でやった。するとそこは、それまで避難所から出てこなかったお母さんたちが久し振りに再会する場となったんだ。「生きてたんだね」「どこさ避難してたのよ」って。反対していた人たちも「まさかできるとは思わなかった」と喜んでくれたよ。

全国の被災地に行って気づいたのは、祭りが地域にあるところは復興も早いということ。組織があって若者がいるから、コミュニティが生きている。祭りが途絶えていった所には若手がいない。だから〝まつり〟というのは、いろんな意味ですごいキーワードだなと思っているんだ。

災害と行政のあり方。

災害現場では自衛隊も警察も消防も、行方不明者の捜索、救命をやってくれているけれど、生き残った人を見る係がいないというのが現状だと思う。行政もいっぱいいっぱいで、避難所を運営している教職員は被災している人たち。結局、被災者自身か、ボランティアでやることになる。今は東京でも条例ができて、企業などにも3日分の食料備蓄をするように指導しているけれど、3日経過してもスーパーは営業していない。そのとき誰がどうしたらいいのか、国は考える必要があると思う。

例えば緊急災害支援に特化するような民間団体をつくってもいいのではないか。ボランティアのなかには災害コーディネーターができる資質を持った若い子たちもいるけれど、経済的に厳しくて継続して活動ができていない。そういう人たちに協力してもらって、普段はボランティア講座の講師などでお金が入る仕組みをつくり、緊急時は現場に入る。定職を持つとすぐに現場に駆け付けたり、続けられないのが災害支援だ。

復興もそう。<オープンジャパン>が石巻で広めているカーシェアリングは電気自動車の使用率を増やしていて。電気自動車は、災害時の非常電源にもなるから、復興住宅にソーラーパネルをつけてもらえれば、そこから充電ができて、災害時のモデルケースがつくれるはずなんだ。ただ、復興は元に戻すことだから、新しいことには復興予算が出ない。タケちゃん(吉澤武彦さん)という<オープンジャパン>の代表を中心にすごく頑張ってくれているけれど、こういうことをお金のある民間企業や行政などともっと一緒にやっていけるといいなと思っているんだ。


2011年5月5日に肥田さんが行った〈まつりで復活石巻〉。周りにたくさんの瓦礫が残るなか、炊き出しやGravityfreeのライブペイント、弁護士による法律相談、美容師の青空カットなど、すべて無料で開催。以後毎年全国からボランティアが神輿の担ぎ手として集まってくる。

自衛隊を救援隊に

地球は活動期に入って、災害が多くなっている。自分は仲間とすでに岐阜県に炊き出し用の道具とかも運び込んでいて。東京へ行くにも大阪に行くにも岐阜はちょうど真ん中。ただ、本来それも、自衛隊や行政がもう少しきちんとやってくれるといいなと思っているんだ。もちろんないことを願うけど、もし自衛隊が有事でどこかに行っている間に何かあったら、どうするのだろう。自衛隊が持っている道具を使えば、タマネギ切ることひとつとっても、比較にならないくらい早い。せめて、民間が自衛隊の災害救助の道具を使えるようにしたらいいと思う。

被災地どこへ行っても、子どもたちは自衛隊に憧れていた。おばあちゃんを助けておんぶする、炊き出しもする、ガレキを持って行ってくれるとなれば、それは憧れるだろう。これからどんどん、東北から自衛隊に入る子が増えていくと思うんだ。でも、彼らは人を助ける自衛隊に憧れているのであって、人を殺す自衛隊に憧れてはいないはず。基地を閉鎖すると経済的に問題があるのなら、自衛隊を救援隊にしたい。それで世界中、人を助けに行けばいい。国防が脆うくなると言っても、「日本は大変なときに来てくれた、支援物資もしてくれた」という日本を攻める国がいたら、ほかの国が放っておかないはずなんだ。沖縄、広島、長崎とさんざんやられて憲法9条をつくった国が、地球目線で考えるときがきたんだよね。すなわち、資本主義から地球主義へと移行するときなんだ。

地域力を育てるために。

災害発生においての初動は、ボランティアよりも自衛隊よりも、そこにいる地域人たちの力が重要になってくる。

阿蘇市では、雨が降ればまた土砂崩れが起きるという危険な状況だった。そこで自分が見ていたのは携帯の雨雲レーダー。でも実際には農家の人の言うことの方が当たっていて。「あの山に雲がかかったから雨がくる」「この雲は危ないからボランティア中止にした方がいい」。そうしたアドバイスは災害現場において宝だった。その場所で生活している人たちにしかわからない、生きる智慧。甲信越の豪雪で秩父市に入ったときも、10日間孤立していた86歳のおばあちゃんは、普段の自分よりもおいしい山の幸を食べていた。保存食講座もしてくれた。でも残念ながらそうした智慧は途絶えてきている。現金収入がないから若者がいないんだ。

それならどうするのかと、防災と地域を考えてみたときに、例えば移住した若者は全員消防団に入ってもらって、1回訓練に出ると1万円位を払い、いざというときにはその人たちに活動してもらう。

もうひとつは、杉林にした山に保水力がなくなって土砂崩れが起きるのなら、もう一度広葉樹に植え替える。それはものすごい有益な公共事業だと思うんだ。山が元に戻って若い人の仕事もできる。地域に子どもがいて、若者がいて、大人がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいてという自然なかたちに戻っていけるはずだ。

いつの間にか災害はコンクリートで押さえ込もうという方向になってきている。海が見えなくなるほどの堤防をつくるために莫大なお金使うのではなくて、もともとあった地形を見直し、昔から自然を神様として畏敬の念を抱いていたところに、もう一度還るべきときがきたのではないだろうか。今の日本なら、簡単にできる。日本人がどこに意識を持ち、どこに税金を使うのかということでしかないんだ。


2013年10月に発生した伊豆大島台風による災害発生現場でボランティア活動を行う肥田さん。

被災地から政治へ。

東日本大震災は地震、津波、原発事故の、天災と人災の複合災害だったけれど、大きく見ると、エネルギーと食の問題だと思ったんだ。それで改めて思ったのは、本当の先進国は、食べ物やエネルギーを自分でつくれる国だということ。金を稼げるから先進国だなんて、とんでもない。それはほかの国から奪う国だということだ。

災害ボランティアの人たちはすごく大きなスピリットを持っていて、優しくて行動力のある人たちが多い。直接は言わないけれど、そういう人たちが目覚めて、政治にも行ってほしいと自分は思っている。例えば仮設住宅の孤独死を防ぐために全国からボランティアさんが来たりしているけれど、その人たちの地元にも、孤独死している人はいっぱいいるはずで。被災地だけではなく、全国どこでもある問題なんだ。

それなら防災や復興、福祉はどうしたらいいのかというと、結局は政治(まつりごと)に行くんだよね。そこにみんなが気づいたときに日本は変わっていくのだと思う。

それが自分にとって「まつりで復活」ということなんだ。


Profile 肥田浩(ヒーサー) 写真・片岡一史
1966年3月11日生まれ。東日本大震災を機に、宮城県石巻へ。石巻では<オープンジャパン(旧ボランティア支援ベース絆)>の一員としてボランティアを経験。その後全国各地の災害現場でコーディネートを行う。またこの間に行われた衆参議員選挙では、それぞれ山本太郎氏の選挙で現場指揮をとる。現在は<オープンジャパン>としての緊急災害支援や<スマイルシード>が行う子ども支援ボランティアや植林活動、〝まつりごと〟などで全国を飛び回っている。

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