京都北山 美山町の試み

ローカル(日本)

京都北山 美山町の試み

京都市中の背後に連なる山は丹後山地。京都の人は北山と呼ぶ。その中央部、800mから900mの山々を縫うように由良川が流れる南丹市美山町。茅葺き屋根の民家が多く、1980年頃から芸術家たちが少しずつ移住した。ここで若者たちを中心にした試みを追った。

文・藍野裕之/写真・依田恭司郎

自立型経済を目指して

京都市内の中心部までは車で1時間半ほど。こんな立地にどうして茅葺き民家が、集落を形成するほどの規模で残ったのだろうか。芸術家たちは、いち早く目をつけた。1980年頃から、ぽつりぽつりと移住し、まるで現代の光悦村のような様相を呈していった。

「夢を持って移住してくる若い人は、今でも少なくないです。農業に憧れている人ですね。でも、すぐに都会に戻ってしまう人もいますよ。やっぱり、町内で経済が循環していくようにならないと厳しいです」と、取材中お世話になった築150年の茅葺き民家の予約制食事処「ゆるり」で聞いた。話してくれたのは移住2世。両親が美山町に移住し、ここで生まれ育った30代前半男子だ。

2014年9月14日、移住2世と新規移住者の30代が中心になり、食と農と工芸と音楽のイベントが開催された。題して「みやまるしぇ」。記念すべき初めての開催である。




会場は道の駅「美山」の敷地内にある広場だ。出店のテントを見ると、食品関係が多い。この町には外食関係の店を出す移住者が少なくないのだ。しかも、どこも個性的。これは、京都市内から距離的に有利で、日帰りの行楽地になっているためでもある。とりわけバイク・ツリーリングが多い。北山のワインディング・ロードを走り抜け、道の駅で休息をとるため、休日の日中は駐車場にいつもずらりとバイクが並ぶ。
「観光できてくれる人にも知ってもらいたいですが、地元の人にも店の存在を知ってもらいたいんです」と、外食店を営む人はいう。確かに、遠方からだけではなく、地元の人がハレの日に食事に来たり、ケーキを買ったりということをしてくれたらどんなにいいだろう。また、出店のテントの中には有機野菜や卵、鶏肉の店もあった。彼ら食材を扱うものにとっては、地元の人への認知は外食店よりも大きな問題かもしれない。

告知がうまくいったのか、夕暮れになって観光客が減ると、地元の人が多くなってきた。移住第1世代も加わる。第1回のイベントは、まずは成功といってもいいだろう。出店者と同世代ばかりでない様子を見て、そう思った。



特産品を目指す大内カブラの復興

美山町には食材の小売店が少ない。農産物も直販の比重が高く、それを助ける役目を道の駅が負っている。「みやまるしぇ」に出店した岩瀬周作さんは、茅葺き民家が多く、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている北集落で有機農業を営んでいる。有機農業を習い、高知で5年ほど営農した後に美山町に移ってきた。

「この満願寺唐辛子は、京都市内の料理店に頼まれてつくっているんです」
小規模の経済が得策なのか、もっと大きくすべきなのか思案のしどころだ。もっと大きくするためには直売所なのか、あるいは振り売りだろうか。岩瀬さんは欲がないように思えた。


満願寺唐辛子、オクラを収穫する岩瀬さん。

「若い人が本当に元気。それから女性。私などはエネルギーをもらっています。ただね、懸念もあるんです。美山町は人口はわずかではありますが毎年減っていますし、小学校も統廃合されることが決定してしまいました」

そういうのは、美山町にある北桑田高校美山分校で農業科の教員を務める渋谷清孝さんだ。渋谷 さんも「みやまるしぇ」に、美山町の有志と栽培するブルーベリーを素材にしたジャムなどの製品を出品した。

渋谷 さんの勤務する学校は、第2次世界大戦直後、向学心に燃える若い農民たちの働きかけで誕生したものだ。定時制だが夜間の開校ではない。農業科と家政科を持ち、日中の開校だが、仕事に支障をきたさないように緩やかな時間割を組み、4年で卒業するというユニークな定時制高校である。

渋谷 さんは、この北桑田高校美山分校で数年前から大内かぶらの復興に尽力している。大内かぶらとは、浄土真宗の僧である蓮如が、1475年に北陸から大坂に移る際に現在の美山町大内地区に伝えたとされる独特なかぶだ。

「栽培を始め、今年は試食会を開きました。根よりも葉のほうに人気がありましたね。特産品を目指しています。高校は地元への情報発信基地であるべきだと思うんですよね」



北桑田高校美山分校の耕作地で大内かぶらを育てる渋谷さん。9月中旬は若い芽の間引きの時期。 
大内かぶら元来は、浄土真宗の信者の集まりに講汁として食されたものだという。この復興は、埋もれていた京野菜の復興にほかならない。

さて、こうして町の新機軸の創出と自立型経済を目指した美山町の試み。「みやまるしぇ」を終えてからの反省会は、ケンケンガクガクの議論があったと後日聞いた。町には人、自然、建築と文化資源は多い。これをどうセンスよく結ぶかが今後の鍵かもしれない。現代の光悦村のこれからに期待したい。

蓮如が大内かぶらを伝えたといわれる浄土真宗の光瑞寺。10世紀にはこの地に開かれていたという。

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