日々トリップ・リターン no.7 北へ帰る 川内一作

トリップ(旅)

日々トリップ・リターン no.7 北へ帰る 川内一作


友人が経営している恵比寿のオーガニックカフェでミヤは働いている。ケンゼンなお店である。日々飲んだくれてだらしなく暮らしている自分にはそういうトコロは眩しい、居場所がなくて落ち着かない。それでも時々顔を出してダラけた生活の罪滅ぼしにアサイやキウイのジュースを飲んで無駄な抵抗を試みる。そしてカウンターごしにミヤと立ち話しをすることがある。ミヤには笹原さとみという親から頂いた立派な名前がある。しかし岩手県宮古の出身というだけでいつのまにかミヤになった。ニックネームというのは名前の一部を取ったり、肉体的な特徴を捉らえて呼ぶのが普通だろう。沖縄出身だからオキちゃんとか札幌出身だからサッポロくんとか言わないぞ。だから宮古出身でミヤはちと乱暴な気もするが、あの震災以降ミヤと会うたびに東北の海辺のことなど思ったりして、自分にとってひとつのイマシメになっている。これが笹原のササちゃんだったり、さとみのさとちゃんだったりしたらそうはいかない。やはり宮古のミヤだからなのだ。

東北人はボクトツで無口だがココロを許すと有弁になる。勝手な思い込みにはちがいない、しかし自分はそう思っている。テレビも無い時代、北国では囲炉裏を囲んでのおしゃべりが唯一の楽しみだった。しゃべっていくうちに深いところへ入り新しい哲学が生まれる。ダザイだってテラヤマだってそうだったと思いたい。ミヤも最初は人見知りだったけれど、この頃は打ち解けたハナシもしてくれるようになった。

ハシが転んでもお腹がすく年頃って言わないですか?高校生の頃ってそうでしょ、私は部活はやらないで帰宅部ですよ、ヘタレだから。高校の帰り道に浮島食堂ってあって、その浮島食堂でいつも親友のサチと時間をつぶすんです。お婆さん二人で営っている食堂で
  
カレーライス380  半カレー210
ラーメン380      肉ラーメン480
うどん310         肉うどん430
玉子うどん360     親子丼380
玉子丼360       肉ライス210
半ライス100      玉子スープ100

そんなメニューで、いつも食べるのは肉ライスと半カレー、おいしかったなァ、その後で家に帰ってもしっかり夕飯食べてました。

好きな人ですか?いませんよそんな、色気より食欲ですよ。でも憧れていた先輩はいたんですよ。一度も話したことなかったです。遠くから眺めていただけで、たまに浮島食堂で見かけたりするともう大変、ドキドキして肉ライスも半カレーも喉を通らなくなって、恥ずかしいですよね、浮島食堂は私にとってはなんか青春みたいなものかも、小さい青春ですね。ああそうだ、その頃青春パンクって流行ってて、ゴーイング・ステディってバンド知ってます?「ゴイステ」って呼んでたんですけど、サチと二人で青森の「クウォーター」ってライブハウスに来たとき見に行きましたよ。親にナイショで泊まりがけで、すごく楽しかった、ボーカルのミネタくん今銀杏ボーイズで歌ってて、「夜王子と月の姫」とか好きな曲ですね。でもゴイステ時代の「銀河鉄道の夜」も好きかな、ゴイステと浮島食堂は宮古の楽しい想い出ですよ。震災で私の家族は無事でしたが、浮島食堂は跡形もなく流されました。食堂のお婆さん達はどうされたんでしょうか、宮古に帰ってもその話題は出ません、何処かで元気でおられたらと思います。当時、親友のサチは彼氏が働いていたガソリンスタンドで十日間寝泊まりしていました。ケイタイがなかなか繋がらなかった。憧れていた先輩は水産加工会社に勤めていて、最後まで現場に残り行方不明です。あっけないですね、あの津波が来なければ何処にでもある若い時の恋バナでしょ、今だったらいっぱいハナシができたのに、浮島食堂で出会った時ひと言でも会話しておけばよかった。ココロの片スミにいつもそんな後悔があるんです。あれから不思議なことに私のなかの故郷の風景から色が消えていった。つまり写真に残っている宮古の風景は大丈夫なんですが、流された記憶の中の風景に色が戻ってこない。浮島食堂の壁が何色だったか、建物もそうですが、記憶の中の夏祭りや花火大会や、そこに集う人達が着ている夏向きのゆかたやアロハシャツや、すべてがモノクロームな世界、私の中から故郷の鮮やかな色彩が消えてしまった。あの人が雪の日に着ていたウィンド・ブレーカーが格好良かったのに、どんな色だったかどうしても想い出せない。

絵・エンドウソウメイ

私がこうして宮古ではなくて東京に住んでいるからかもしれません。東京でもう十年です。もちろん震災以降もなにかと宮古へ帰省しています。家族に会います。サチにも会います。浮島食堂があったあたりを歩いてみます。でも私は東京に住んでいます。私はホントウに震災と向きあってきたのか分かりません。私はもうすぐ三〇歳になります。ひと区切りです。この春に退社して宮古に帰ろうと思います。やがてまた東京へは出てくると思うけど、一度ゆっくりあの町で暮らしていたときのように深い呼吸をしてみたいのです。私の記憶のなかの宮古の風景に色が戻るまで。
  
声 高円寺に消えて
やがて汽笛は響き
噛むカムチャッカのガム
青白く甘い夜
シベリア鉄道乗り換え
東北を目指します
ハロー 今君に
素晴らしい世界が見えますか
       
銀河鉄道の夜
ゴーイング・ステディ

  この記事を掲載している『88』39号のebookはこちらから
   ※PCブラウザ、iOS(iPhone、iPad)のみ対応。

  88 39号(2015.2.20)



関連記事

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑