日々トリップ・リターン no.6 続ウロウロの記 川内一作

トリップ(旅)

日々トリップ・リターン no.6 続ウロウロの記 川内一作


毎年自分の誕生月に短いひとり旅をすることにしている。自分が生まれたのは梅雨の頃で、今年はその時期忙しくてこの十月に出かけた。国内は飛行機は使わない。陸路で途中下車をしながらウロウロとほっつき歩く。寺社仏閣、観光に興味はなく、朝はその場所の市場を午後からは盛り場を徘徊するのみである。それって東京と変わらないじゃん、うん、まァ、そうなんだけど…続と書いたのはハチハチが大きいサイズの頃に旅のハナシを書いていて、その続編という意味。今回は別府、国東半島のウロウロである。行きも帰りも京都に泊まる。行きの京都で、さァこれから旅が始まるぞとミソギを立てる。日常から非日常への入り口、帰りの京都は旅の終り、明日から東京へ帰って仕事だという非日常から日常へ切り変える旅の分岐点なのである。

御池のリコ 京都は御池から御幸町へ下ったあたりで後ハイが酒場を始めた。ふらっと立ち寄ると自分より十歳くらい若いカップルがカウンターに座っている。彼氏の方の黄色いTシャツにふと目がいってあれっと思った。ちょっとふっくらしたジャマイカンの顔にリコとプリントされている。伝説のトロンボーン奏者、リコ・ロドリゲス。ダブ・トランペッターこだま和文との共演、「なんて素敵な世界なんだろう」はココロに染みる。あれっと思ったのは「新世界」つながりで、こだま和文の「いつの日かダブ・トランぺッターと呼ばれるようになった」が出版されたばかりで、今朝新幹線のなかで、打ちあげもかねて定例の飲み会をしようとこだま和文にメールをしたところだった。「いいねそのTシャツ」「レゲェ好きの坊さんです」彼は照れくさそうに笑った。それからハナシは大いに盛りあがった。誌面が足りないのではしょって書くけど、彼の実家は東京の青山で寺をやっていて、ハタチの頃に坊主の修業をしながら、当時青山三丁目にあった「サルパラ」に足繁く通ってレゲェ好きになった。店主の吉村くんの事もよく知っていて、「新世界」で「サルパラナイト」をやっていると言ったら驚いていた。彼は今、京都で住職と幼稚園をやっている。このところ体調を崩している吉村くんが元気になったら「サルパラナイト」またやってください、ぜひ行きたいですとのこと。翌日、九州に向かう車中、彼からこんなメールが入った。

「昨夜は酔っ払いました。ハタチの自分になりました。原発、戦争、自然災害、個人のそれぞれの苦しみ、それでも人生は愛と希望と冒険に満ちている。そんなハナシをわかり易く子供達にしてみました。今朝はそんな気分でした。吉村さんが元気になられることを祈っています」リコのトロンボーンがアタマの中を巡った。

チョロ松のかも吸い 京都から博多、博多で特筆すべきは中洲は巨大な風俗店であったということ、おとろしい。自分は早々に退散して別府に入った。別府では二夜連続で「チョロ松」のカウンターに座った。目当ては人気のかも吸いである。これにはびっくりしたなァ、骨つき合がものブツ切りに内臓、ゴボウのささがき、青ネギなどがたっぷり煮込んだスープでぐつぐつと登場。かもの旨みを出しつくした汁はいつまでも冷めないでレンゲで口に運ぶたびにヤケドしそうになる。これは和食なのか、いやいやこれはよその国の食いモンだ。体験したことのない味にこの酒場の料理をとりしきっているかっぷくのいいお母さんのルーツを聞いてみた。やや韓国のオモニ的な顔立ち、きっと大陸の血がたぎっているのだろうと思っていたが彼女の両親もそのまた両親も別府の人だという。机以外のタイガイのモノは食ってきた自分も「チョロ松のかも吸い」には驚いてばかりだった。長生きしてよかった。

マボロシの豊後高田 別府から電車とバスを乗りついで国東半島の入り口、豊後高田に入った。車の運転ができない自分にとって、鉄道が走らない国東半島は遠い場所だ。ヘソまがりな旅人は手間がかかる分、やってきたかいがあると思って豊後高田に入ったが、あァ、まるで何もない場所に来てしまったと少し後悔をしながらも、いつものように初めての町をさまようのである。平たい川がある、橋がある、レンガ造りの建物、緑青を浮かせた銅の看板、石造りの二階建て、古い町並みが続く。昭和の町をうたい文句にしているだけにレトロな空気が支配している。半島に降る雨は桂川となり、この町の中心を通り抜けて周防灘へと流れ込む。河口の町である。あらかた町を歩いたその夕暮れ、桂川沿いを海へ向って歩いた。川幅がしだいに広くなる。母親と小学生くらいの兄弟、そして犬。自分の前を家族が海に向って散歩している。自分はその後を追いかけるように歩いていると、河口の向こう側に広大な海が見える場所に出た。瀬戸内海がこれほどまでに広く見える場所が他にあっただろうか、そのような周防灘にまさに夕陽が沈むところ。金色の夕陽に自分はウロウロと途方に暮れるばかりだ。母親と兄弟と犬、そして自分、まるで知らない他人がひとつの家族のように並んで突然の夕陽を眺めていた。ふと自分は林芙美子の「風琴と魚の町」の一説を思い出して、放尿こそしなかったがカラダを折りたたんでまたの間から夕陽を眺めてみた。「オレ達 車飛ばして 海の見える方へ ヘヘッヘイ」 鼻歌が口をついた。意識の底がはじけた。自分はこの町を好きになりかけていた。

絵・エンドウソウメイ

翌日、早朝からまたウロウロである。路地から路地を抜けて電気屋の前で立ち止まった。ショウウインドウに古い白黒テレビ、冷蔵庫、手動の脱水機がついている洗濯機が陳列されている。「三種の神器」と張り紙。電気冷蔵庫、昭和三十二年、当時の平均月収六千円の時代に値段は十六万円と書いてある。洗濯機は昭和三十年、公務員の初任給八千七百円の時代に三万二千円である。白黒テレビ真空管式、昭和三十六、公務員初任給が一万四千三百円、テレビの値段は十五万円。昭和三十六年といえば自分は九歳、自分の家にテレビが来たのはずっと後だった。橋のそばの電気屋の前で川からの風にあたりながら昨日この町に着いたばかりのとき、「昭和の町」というキャッチにウソくさいなァと思っていたが、今は、そうか、なるほど、と妙に感心感動している自分がいて、思わず苦笑した。ちょっとほのぼのしながら橋を渡っていると「ドドーン」と花火が上がった。早朝の花火だから音だけである。なんだろうと思って歩いていると小学校のあたりに人だかりが見えてきた。そうか運動会なんだ。台風がせまっていて小雨もパラついている。それでも運動会なのだ。自分も子供のときに運動会の日、朝いちで「ドドーン」と上がる花火を心待ちにしていた記憶がある。早朝だというのに小学校の校庭は町の人でにぎわっていた。弁当を運んでいる人、場所とりをしているカップル、すでに缶ビールでできあがっているタオルハチマキのおっさん。開会式、応援合戦、そして徒競走と続く、小学生はどこかカラダがアンバランスで女子の方が大柄な子が多い。口を一文字に結んで胸をそって走る者、猫背で腕などあまり振らないで足だけバタバタさせる者、百人いれば百人の走り方がある。大歓声大拍手。孫を見にきているのだろう、すぐ前で見ている婆さんが「ダメじゃ、二人ともドベじゃが」と他人の自分に向って真剣に嘆く。自分が子供の頃運動会は町の一大イベントだった。この町はそれを失っていない。なんだ、本物の昭和はここにあるじゃないか。

豊後高田、ここはホトケの里である。今走っている子供たちはホトケの化身である。レトロなどたいして興味もないくせに、なぜ自分はここにとどまったのか、自分はここで何を探しているのか、自分はここで誰を待っているのか。

  この記事を掲載している『88』38号のebookはこちらから
   ※PCブラウザ、iOS(iPhone、iPad)のみ対応。

  88 38号(2014.10.30)

関連記事

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑