日々トリップ・リターン no.4 またまた大切なことは何だと聞かれて考えた 川内一作

トリップ(旅)

日々トリップ・リターン no.4 またまた大切なことは何だと聞かれて考えた 川内一作

並みの男や女には普段見えないこの世の網羅万象、チミモウリョウが見える人のことを自分はミエナイモノ協会とかってに呼んでいる。つまりミエナイモノが見える人、と言ってもそこいらの新興宗教ではなくて、まァ、普通よりも少しだけ感性が豊かな人たちだと考えていい。スポーツ選手や作家や画家や特別な能力が必要とされる職種だけではなくて、漁師でも農夫でも料理人だって同じことで、自己表現に入り込んでいるなにかの瞬間に神おろしをするにはよほどの集中力が必要だ。一瞬の才気がキラメクことを奇跡というならば奇跡は日常にあふれている。奇跡とは死んだネコが生きかえるとか人間が宙に浮かぶとかこわれた洗濯機が手をかざすと治ったとか、そのような大それたことではない。まァ、しかし、自分自身はミエナイモノなどまるで信用していない下世話な人間のくせに、ミエナイモノ協会が自分のまわりに集まってくるのはなぜなのか。多分、自分の前世は石川五右衛門のような極悪人であったから、今世こそは更生させてやろうとミエナイモノ協会が自分をまな板の上にのせて、どれほどの善行をほどこすか試しているのかもしれぬ。たとえば自分がやっている三田のアダンでおいしい和食を作ってくれているせっちゃんとか、クム・フラになったサンディーだったり、人気作家のTやYなどこの人たちはミエナイモノ協会では大した巫女であるから、ヨコシマな自分はこの人たちと対峙するとココロの底まで見透かされてあたふたと退散するばかりだ。

絵・エンドウソウメイ

アダンのせっちゃんは熱湯に入ったほうれん草の色がかすかに変わった瞬間に宇宙が見える人である。レンコンの穴に世界平和を願う人である。ゴマをすっているあいだには人生の四苦八苦をとなえる人である。

せっちゃんと出会った三〇数年前、自分はひどい暮らしを続けていた。ギスギスと突っぱっていてその分いつも社会から反撃をくらう、自分の居場所が見つからない。そんなとき自分はせっちゃんの家で野菜中心の手料理をごちそうになった。せっちゃんの家にはいつも自分と同じように途方に暮れた連中が集まっていた。自分はせっちゃんの自然食の世界に触れて荒れていた気持ちが静かで平和になっていくのを感じた。そんな時代を経てせっちゃんを料理人に迎えてアダンを始めたのは十五年前のこと。あの頃、せっちゃんと旧知であったサンディーはアダンにいつも玄米おむすびを食べに来てくれた。せっちゃんのおかげで自分はサンディーと出会えたと言っていい。少女期にハワイで育ちフラを習っていたサンディーは歌手活動にひと区切りをつけ、もう一度フラを極めていこう、クム・フラへの修業へ入ろうと決心した時期でもあった。自分はサンディーとアダンで出会う十年前にフラの取材でハワイ島へ足繁く通っていた。もちろん自分がフラをやるのではなく、フラの持つ精神的な世界へ共鳴してのことで、故人となったジョージ・ナオペやカナカオレの末えいとの出会いからさらに深いところに引きずりこまれていった。あのとき同行していた須川と東京でこういう世界をやろうよ、漠然とだがそれは明るいスピリチュアルな学校みたいなものだろうかと熱く語り合ったことを覚えている。フラの取材から十年後に自分はアダンを始めてせっちゃんを介在してサンディーと出会う。須川と自分にとってサンディーと出会うことでハワイ島で語り合ったビジョンがより現実味をおびてきた。逆に言えばあのときサンディーはクム・フラ修行の旅へ出発する同志を得たのである。ハレマウマウの火口で火の神ペレに出会ったとき運命はすでに決まっていたのかもしれぬ。フラとはそういうものだ。渋谷にサンディーのフラスタジオを立ちあげたのはアダンが始まって二年後のことだった。生徒はまだ少なくてスペースの半分をアイナというカフェにした。このフリー・ペーパー「ハチハチ」がスタートしたのは二〇〇三年のことで、その頃にはアダンもサンディーのスタジオもいい時期を迎えていた。当時ハチハチの発行人の片岡とアダンで飲みながらこんなハナシをした記憶がある。

——ハチハチってフリー・ペーパー始めようと思うんですが。
——八十八年の「イノチの祭り」の世界? あれはちょっとつらいなァ。
——それも少しあるんですが、八十八夜ですよ、米ですね。ライス・ペーパーどうです?
今ほどふくらんでいない青年の片岡が真顔で言った。
——いいじゃん、オレも何か書くよ。

片岡とのそんなハナシで「日々トリップ」は始まった。フリー・ペーパーだからできることはなんだろう。自分は極私的な世界をまんま書くこと、主張ではなく実験的に自分をさらけ出してみようということだけを念頭に置いた。せっちゃんも料理のページを持った。サンディーもクム・フラへの道ゆきを何度かインタビューに答えてくれた。今編集長をやっている甲藤はまだ編集見習いで、ハチハチの時期になると原稿催促の電話が鳴る。「、日々葛藤してる?」と寒いギャグを言うと「はい葛藤の毎日です」というまじめな答えが返ってきた。

今回こんな内輪バナシを書きたかったのは二ツ理由がある。ひとつはアダンのせっちゃんがこの五月に現場から引退すること。今後は若いスタッフの指導や料理教室などをやっていく。自分にとってアダンをせっちゃんと十五年やれたことは極上の精神世界への旅だった。

もうひとつはハチハチが今号で終わりになるかもしれないということ。ハチハチに年四回原稿を書く作業もまた修業の場であったと思う。この十五年、せっちゃんのごはんを食べ、 サンディーのウニキに立ち会い、ハチハチでそんな体験を脚色せずに書く。自分がいつか見た夢に限りなく近ずいていくことに夢中だった。自分がやっていることは実業ではなく虚業である。まぼろしのなかで自分はずっと呼吸をしている。いつか見た夢をライブというカタチで今「新世界」でやれているのは、せっちゃんとアダンを始めた十五年前にすでに決まっていたことなのだ。ぼんような自分はそれを予期していなかったけれどミエナイモノ協会のせっちゃんはすでにあのとき分かっていたはずだ。この原稿を書いているときハチハチは終わらないと連絡が入った。よかった。それならなお嬉し。アダンも若い人たちに期待しよう。新しく芽ぶかない春はないのだ。

「新世界」のこけら落としをやってくれたダブ・マスターこだま和文はライブの最後にワンツー、ワンツー、とメッセージを送る。こだまにワンツーの意味をメールで聞いてみた。こんなメールが返ってきた。

ワンツー、ワンツーはエール
皆さんと自分にね
だから
ハチハチにワンツー
ハチハチ編集部にワンツー
片岡にワンツー
甲藤にワンツー
新生アダンにワンツー
せっちゃんにワンツー

二〇一四年 春が来た


クムフラ…古典フラの習練をつんだ特別な人。
ウニキ……古典フラのステップは三回ある。ダンサーとして、チャンターとして、最後はクムとしての人格を問われる。そうしたステップを試されること。

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