日々トリップ・リターン no.3 生活の柄 川内一作

トリップ(旅)

日々トリップ・リターン no.3 生活の柄 川内一作

カスミ町で「新世界」を始めて丸三年経った。こんな時代にライブ・ハウスなんて、と誰もが反対したけれど、行きがかり上どうしても避けて通れぬことだった。東北大震災をなんとか乗りこえたものの四苦八苦の三年間である。おかげで懐は空ッケツ、二〇代のようにカスミ町の路上で深夜途方に暮れるばかりだ。大好きな「新富寿司」にも三カ月に一度、つまり季節の節目にしか行けず、ああコハダが煮ハマがかんぴょう巻きが食いてぇと禁断症状が出る始末。仕方なしの家メシはマグロなんぞは贅沢で、サンマでガマンをするけれど今年はサンマも高いから困るのだ。

まァいい。もともと何も無かったのだから、無いことは気持ちいいのだと自分に言い聞かせるだけだ。それでも「新世界」でいいライブに出会うと、やっぱりやってヨカッタナと思う。最近では九月一九日の「リターン・トゥ・サル・パラダイス」。あれはちょっとヤラレタ。出演ミュージシャンもヨカッタが、久々昔の仲間と会えて実に楽しい夜だった。このイベントに関して「新世界」のホーム・ページを引用すると、「サル・パラダイス」は八〇年代後半青山三丁目にあったバーで、多くの音楽関係者が顧客やDJとして出入りしていた東京ダウン・ビートの聖地だった。と立派な口上である。ケルアックの「路上」からそのまんま「サル・パラダイス」、通称「サル・パラ」と名付けたのは店主の吉村くんだったが、今は実家がある熊本の人吉でカフェをやっている。当然その日は熊本から吉村くんもかけつけて、まァ八〇年代のアングラ同窓会となった。

吉村くんは八〇年代のアタマに自分が現役でバーテンをやっていた「クーリーズ・クリーク」の仲間である。一年くらい同じ釜のメシを食ったか。クーリーのカウンターにぶらっとやって来たとき、ロン毛に牛乳ビンの底のような丸くてぶ厚いメガネをしていて、お、ジョン・レノンじゃんと思った。熊本の男である。ボクトツで頑固だ。いつも無口だがときどきボソッと真理をついてまわりはドキッとさせられた。クーリーの後で吉村くんが「サル・パラ」を始めたとき、 自分はまだ青山の「カイ」をやっていて「カイ」がひけたあとはたいてい「サル・パラ」で飲んだくれた。自分はあの頃あらゆるモノに溺れてひどい精神状で、最後は「サル・パラ」でぶっ倒れていたのだからシャレにならない。吉村くんにはずい分迷惑をかけたな。金輪際こんな暮らしから足を洗おうと「カイ」をやめて尾山台の安アパートに引っ越したのは八八年の終りだったが、 自分はすでに四〇を前にしていた。毎日何もやることがなかった。「ヒマしてるのならなんか書いてみれば」

編集をやっている悪友のススメで尾山台の四畳半でポツポツ駄文を書き始めた。その悪友は坊主のムスコで、坊主と教師の子供はたいがい悪い奴だと決まっているが、例外ではなくやっぱり悪人だった。しかし多少は慈悲のココロを持っていて、こんなシロウトの文章をすぐに活字にしてくれ、取材と称して一銭も持たない自分をジャマイカ、ハワイ、メキシコなどへ同行させた。そんな悪友と共に当時生活を助けてくれた女がいて、女はときどき尾山台の四畳半に飢え死にしていないか見に来た。ある日、女の会社の社員旅行に便乗してバリ行った。明日東京に帰るという日にクタのビーチで夕陽を眺めながら女はこう言った。「あんた東京にいるとお金かかるから、 このまま物価の安いバリにいたら」これは命令である。女はクタに自分を置き去りにして東京へ帰っていった。しかし、おかげで自分はバリからジャワ、スマトラ、シンガポール、マレーシア、 タイと東南アジアを一巡することになる。なんとか東京へたどり着いたときすでに半年経っていた。あのひとり旅でカラダの中からアブナイモノがすっかり抜けて自分は女に感謝した。しかし東京に帰ると「彼氏ができたから、あんたはあんたで頑張ってね」と女に言われて、「スイマセン」と言って自分は尾山台の四畳半で頑張ることにしたが何を頑張ったらいいのかよく分らなかった。

絵・エンドウソウメイ

尾山台の部屋には家具らしきものはなかった。本が数冊、座卓と万年ぶとん、それだけである。窓を開けると屋根づたいからときどきノラ猫が遊びに来るくらいで完全に世捨て人だった。あのとき自分は終っていてもヨカッタし、格別この世に未練はなかった。

まれに入る原稿料をポケットに夕方から飲みに出かける。一日で使ってはイケナイ金である。この先数カ月も入金がないのだ。自分は尾山台から自由が丘に出て、東横線のホームで上りに乗るか下りに乗るかいつも思案する。下りに乗れば多摩川を渡って新丸子の「三ちゃん食堂」である。「三ちゃん食堂」は大衆食堂である。しこたま飲んで「丸子温泉」につかり歩いて橋を渡って帰ればそれほどの散財ではない。上りに乗ると渋谷に出て、とりあえず後輩たちの酒場を飲み歩けばみんなこんな自分を哀れに思って一、二杯ならおごってくれるが、さすがに三杯目ともなると嫌な顔をされるし、青山あたりをハシゴすればそれなりにゼニはかかるのだ。

右に行くか左に行くか自分はホームで迷ったあげくに、ポケットに手を突っこみ指先でなけなしのお金を数え、えいっと渋谷行きの電車に乗るのだ。そして渋谷に出たら、「玉久」は高いけどやっぱり行くのだ。一品だけで酒三合。「ワロング」でホンちゃんとビンタンを飲み交わし、「カイ」でタカユキに「ハバナ・ショット」を作らせ、最後に吉村くんの「サル・パラ」になだれこむ。すでに二時をまわっている。いくら独りで暮したいと思ってみても、ずっと独りでいると人と会えるのがどれだけ楽しいことか。自分はひどく雄弁になりサル・パラダイスとディーン・モリアーティ、バロウズがモデルのオールド・ブルー・リーとギンズバーグであったカ?ロ・マルクスなどの相関関係について熱く語り、 吉村くんは辛抱強くそんな酔っ払いのハナシを聞いてくれる。長い長いつぶやきの後に自分はくしゃくしゃになった千円札を数枚カウンターに置いて「また来るよ」と言ってサル・パラの階段を上ろうとする。そのとき吉村くんがボソッとこう言った。

またうまいマティーニを作ってよ。

あっと思った。オレは何をやっているのだ。

小説よりも酒場の日々の方がよほど面白いぜ。もう一度バーに立ちなよ。

ボクトツな吉村くんの精一杯の苦言なのである。自分は語り過ぎたことをひどく後悔して外に出た。もう電車はない。タクシーの金もない。自分は青山墓地の坂を上り、山根家の墓の裏あたりに今夜の寝床を探す。いくら厚手のダウンで寝転がっても冬に近い秋の冷気は身に染みる。
 
そうです、自分はあの時、歩き疲れて、夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのです。
 
オマエはあの頃そうやってサボってばかりいたから今になって働かされているのさ、と古い友人はそう言う。結局、自分は先達山之口貘にはなり切れずに「新世界」を始めてまたカスミ町に舞い戻ったが、それも何か意味があるのかもしれぬ。

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