日々トリップ・リターン no.1 大連婆さんそして日乾無限 川内一作

トリップ(旅)

日々トリップ・リターン no.1 大連婆さんそして日乾無限 川内一作

事務所の奥にある色気のないスチール製の棚に、ハチハチが無造作に積んである。一番下から引っぱり出すと二つ折りのゼロ号が出てくる。ゼロ号の日付は二〇〇三年、十一月。十年前のことだ。ゼロ号は今の倍のサイズであったが、四ページしかない質素なものだった。そのゼロ号の末尾に短い「日々トリップ」を書いた。机に向かうことが大キライな自分は、原稿書きなんていつも苦痛で仕方がない。どうせ三日坊主で終わるだろうと思っていたら、結局二〇〇八年の春までぐずぐずと書き続けてしまった。お恥ずかしい。しかしフリー・ペーパーに何かを書くということは、自分を素っ裸にして、他人を困惑させたり、怒らせたり、まれに誰かが感動してくれたり、他のどんな依頼原稿より自由でいることができる。本業である酒場のプロデュースという仕事に落ち込んだとき、「日々トリップ」を書くことでくだらない悩みを浄化していけた。それは自分にとって新しい発見だった。毎日飲んだくれながらも、なんとか当時の「日々トリップ」に書いていたことが、ここ数年「クーリーズ・クリーク」をリメイクしたり、「新世界」を立ち上げたり、つまり紙の上の世界が空間に宿ってきたということは、まったく自分の意志とは無関係に「日々トリップ」が勝手に独り歩きを始めたからだと思っている。

真実は酒場にある・・・かもしれない。

ところで、ゼロ号の「日々トリップ」は、ある日の午後自由が丘の「大連」で、餃子に白乾をあおりぶっ飛んだところからトリップが始まった。新たに「日々トリップ・リターン」を始めるにも、やはり初心に戻って餃子に白乾をやらねばならぬ。白乾に蒸し焼きそばを喰わねばならぬ。というわけで春近いある昼下がり、久しぶりに自由が丘の「大連」に繰り出した。自由が丘という町は自分にとって興味のない町だ。飲んだくれて放浪するほどのよどみがこの町には無いからつまらない。だから駅からわき目もふらずに「大連」に直行し、酔っぱらうとまたわき目もふらずに電車に乗って帰ってくるのだ。今の「大連」は親父さんがあまり元気がなくて時々姿を見るくらいで、店はお母さんと娘さんが切り盛りしている。自分はこの店ではかつて一度も深いハナシをしたことがないが、なんだかこのお母さんを敬愛していて大連婆さんと秘かに呼んでいる。
絵・エンドウソウメイ

時間は午後一時を少しまわったところ。カウンターに座り、ビールをチェイサーに白乾をあおり焼きあがる餃子を待ちながら、お通しの肉味噌玉ネギをつつく。パキッとした無色透明のスピリッツに五臓六腑がポカポカしてきて、胃袋は早く餃子を食わせろとぐずり出す。やがてパリパリモチモチの餃子がやってくる。熱々を喰らい、白乾をあおり、ビールをグビリ、二杯の白乾で餃子二人前をたいらげ、蒸し焼きそばで三杯目の白乾をすするのだ。もうここまでくるとスゴイぞ。アタマはぐわんぐわんで、目の前に中国の荒涼とした大地が広がり、ごうごうと舞いあがる砂塵の大陸を馬を駆ってひた走る。馬なんか乗ったことないのにもう馬賊だな。大連婆さんは皮にあんを詰めながら斜めにテレビを見ている。大連婆さんはなんだか大陸の匂いがする、底知れぬエネルギーがある、そうだ「紅いコーリャン」の土の民。昼間の白乾は妄想をどんどん増幅させる。ああ、白乾は無限である。

テレビではどこかの政治家が老人介護について話している。大連婆さんはギロッと目をむいて「ケッ、老人介護なんていらねー」とつぶやく。すごいなァ、もう自分は馬賊の頭領だ。ドドドドドとあとに百人と百頭のギャングと馬が続くのだ。テレビの政治家は今度は尖閣諸島問題について語り始めた。大連婆さんはまた「ケッ」っと言ってギロッとテレビをにらむのだ。うーん、やっぱり日本は中国には勝てねぇなァと自分もひとり言。だって白乾の国だよ、日本にはこんなキビシイスピリッツはないぞ。沖縄には泡盛があるけれど沖縄は琉球王国だからね。中国料理は世界中どこに行ったってある、それは日本料理屋の比ではない。むかし西サモアの村に一軒だけ中華料理屋があって、洗面器にテンコ盛りのチャーハンをサモア人は食っていた。神楽坂の入り口に特大チャーハンを出す店があるけれど、いつか挑戦してやろうと思っているが、まァ、アレの五倍はあったな。そして、なにより、あの麻雀という偉大なゲームを発明した国だから、もう日本人は逆立ちしたって勝てっこないのだ。マスコミは黄砂やら何やらと騒ぎたててあおるけど、放射能をまき散らしているのは我が国ではないのかね。放射能と黄砂やら何やらと、どっちがヤバイかといったら放射能がヤバイに決まっている。石原慎太郎が自分のことを暴走老人というのなら、てめえが尖閣諸島の山のてっぺんに登って、ゴダールの「気狂いピエロ」のようにダイナマイトを顔にまきつけて自爆してみせればいいのだ。そしてこう言いなさい。「また見つかった。何が? 永遠が」とね。三島由紀夫ほどの覚悟も憂国の情もないくせに。
 
「白乾をもう一杯」
「終っちゃったんだよ、さっきのが最後の一杯、もう入ってこないよ」
そうか、そういえば渋谷の「麗郷」にも、三宮の「眠眠」からも白乾は消えていた。

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