砂が舞う土地に緑の森を 〜中国内モンゴル沙漠化事情 no.2 植林への道

トリップ(旅)

砂が舞う土地に緑の森を 〜中国内モンゴル沙漠化事情 no.2 植林への道

文・B.セルゲレン 写真・片岡一史

日本で内モンゴルの沙漠化を考える

1998年、私は、東京大学に留学しました。ある時、各国から留学している学生たちが、自分たちの国を紹介するため、地域研究を発表する場がありました。

私は、中国・内モンゴルの沙漠化問題に取り組みました。

調べれば調べるほど、沙漠化は、大きな問題であることが見えてきました。このまま進行すれば、数十年後には北京の街も砂に埋もれることが予想されるほど深刻でした。そんななか、ひとつの想いが芽生えてきました。沙漠化問題に対して、アクションを起こさなければならない。そのひとつの方法として、中国と日本の橋渡しをして、緑化しようという方向性を探りました。

沙漠化していく村々

99年の12月。私は賛同してくれた学生ふたりを連れて、内モンゴル自治区ナイマン旗に向かいました。

ナイマン旗はホルチン沙漠が広がり、内モンゴルのなかでもとくに沙漠化に苦しんでいる地域です。

ここは私の故郷でもあります。しかし私の村は、植林をするには遅すぎる場所でした。すでに流土砂丘に襲われ、やむなく移住せざるを得ない人たちもいるほどでした。

流土砂丘というのは、沙漠が広がる、ひとつの最前線と考えることもできるものです。

鳥取砂丘を見てもご理解いただけるように、沙漠は日々、その姿を変えます。風が吹き、軽い砂は別の場所に飛ばされます。そこに障害物がある場合は、砂が吹きだまりのようになり、風が強い日には、小高い丘のようになります。これが流土砂丘と言われるもので、家も飲み込まれてしまうのです。草も育たないほど乾燥した土地が砂にうずもれると、次第に沙漠になっていく。ときには、道も埋もれてしまうこともあります。そうやって沙漠は広がっています。私の村も、そうして沙漠化していきました。

さらに沙漠についてお話をすると、私はこれまで、日本の方々にはなじみがうすい「沙漠」という字を使ってきました。「沙漠」も「砂漠」も同じ砂の土地です。しかし、「砂」という字を使う砂漠は、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠のように、まったく草木が生えていない、古来から荒涼とした土地を指します。しかし「沙」という字を使う沙漠は、砂地でありながらも、灌木などの植物が多少なりとも生えることができ、乾燥地帯ながらも改善することができる土地であり、私は、その土地で生活を続けることができるようにという希望も込めて、この水へんの「沙」という字を使って沙漠化と表しています。

砂丘に脅かされている道

ナイマン旗は、80年代より段階的に開放政策が実施され、外国人も入ることができるようになっていましたが、外国との接点がなかなかなく、海外よりの資金調達が難しい場所でもありました。そういう意味でも、日本人が入ることができる、植林に適している場所だと考えました。

さらに、ナイマン旗には、甘粛省蘭州にある中国沙漠研究所の支局がありました。ここに、数多くの研究結果が残され、現地の情報を得ることもできました。この情報をもとに、緑化することで沙漠化を食い止めることができる村を探し、行政関係者に会いました。私たちは、この地の緑化支援に貢献したいのだと。

当時の現地の対応は冷ややかなものでした。沙漠に木を植えても生えるわけがない。農村地域は深刻な貧困問題も抱えていましたので、そんなことをするお金があるのならば、他のことをしてほしい。内モンゴルの農業は、どの時期にどのくらいの雨が降るか、雨に大きく左右され、毎年、最低限の自給自足生活を強いられていたのです。

そんな状況ではありましたが、行政からは、あなたの言うような緑化ができるのであれば、ナイマン旗の北西20キロのところにある道路が、砂丘に脅かされている。これをなんとかしてほしいと、緑化の許可がおりました。



支援を募り緑化を実施

日本に帰り、各地の研究組織や企業の社内報、新聞などを通じて、支援者と支援金を募りました。他のボランティア団体がやっているように、現地に行く旅行費用に植林費用をプラスして告知しました。手伝いたい、協力させてほしいという個人が多く、驚かされました。

私の役目は現地と日本の橋渡しです。日本では内モンゴルの現状を訴え、内モンゴルに対しては、日本人の社会貢献に対する志や主旨を伝え、緑化を実現する。

しかし最初は失敗の連続でした。

現地の行政も住民もなかなか理解してくれませんでした。なぜ、この日本人たちは自分のお金を使って、こんなところまで来て、植林しているのか。何か企んでいるんじゃないかという疑惑の目がほとんどでした。行政も、これは何かの投資ではないかと考え、海外からの投資を積極的に受け入れて発展しているというストーリーを作り、メディアを通じて報道していました。

植えた木の管理にも問題がありました。日本の植林チームは、1週間、長くても2週間で帰ってしまう。そうなると木の管理を誰がするのか。集めた資金は、植林実施の直接的な経費にあてられ、とても管理費用までは捻出できません。

日本人が帰ってしまうと、そこに家畜を入れたり、耕してしまったり、ほとんどの植林は無駄になってしまったのです。

現地主体の植林活動へ


そこで私は現地主導の植林活動に切り替えて考えました。持ち主のいない木は植えない。植えたら誰の木か明確にするという方法を取りました。

まず植林を実施する家族を選びました。当時この地域では、庭に作っていた畑が沙漠化によって使えなくなりつつありました。かつて、とうもろこしを作っていた、そばを植えていたけれど、沙漠化によって使えなくなりつつあった庭に木を植えましょうと呼びかけたのです。

かなり大きな反響がありました。

現地の家族、ひとつひとつと話し合って決めていくので、大きな面積に植林することはできませんから、劇的な変化は期待できません。しかし、確実に緑化していくことはできる。しかも管理費用はいりませんから、低コストで実施できる。何より現地主導ですから地域に根付いた活動ができる。

そうして着実に緑が増えていきました。


PROFILE   B.セルゲレン
中華人民共和国、内モンゴル自治区出身。内モンゴル沙漠化防止植林の会代表。1994年より日本に留学し、東北大学、東京大学に通う。政治学を学ぶかたわら、自らの故郷であるホルチン沙漠の植林活動を積極的に推進。

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